伝承之蔵

龍宝寺の釈迦如来像
仙台市/青葉区/八幡

   昔、炭焼藤太が建立したという福王寺が火災で全焼し、その寺を再建していた時、縁の下から釈迦如来像が発見されたのだが、 当時の和尚は、毎年、二月十五日の御神事のときだけ縁の下から出し、それ以外は、そのまま縁の下に安置することにした。 その御神事というのは、「里の子供たちが、釈迦如来像の首に縄を結んで、寺の庭を引きずり回し、遊び終わったら縁の下にもどす」というものであったのだが、 ある年の御神事のとき、代わったばかりの和尚が、子供たちが釈迦如来像と遊んでいるのを見て激怒した。 そして、「なんということをするんだ!やめろ!」と言って、荒々しく子供たちを追い散らした後、 釈迦如来像を丁寧に洗い清めて、本堂に安置した。

   ところが、その夜、和尚は原因不明の病気になり、突然、真夜中に立ち上がって、 「われは、時を待っているだけじゃ!このような貧しい寺の本尊ではない。一年に一度、子供たちと遊ぶのを楽しみにしていたのに、 それを邪魔しただけではなく、われを本堂に安置するとは何たることか!」と激怒し、客殿や庫裡を走り回って暴れだした。 祟りを恐れた小僧たちが、すぐに、釈迦如来像を縁の下にもどしたところ、たちまち、和尚の病気は治ったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

現在、この釈迦如来像は、龍宝寺にある。



これが、釈迦如来像が安置されている釈迦堂。 元禄九年、伊達綱村が、この釈迦如来像を京都の清涼寺の釈迦如来像と比較させたところ、まったく同じであったため、 綱村は、厨子と文殊・普賢の脇侍を作らせた。そして、文殊・普賢の脇侍を京都から仙台まで陸で運搬させ、厨子は船で運搬させたのだが、 厨子を運搬した船が暴風雨のために銚子沖で沈没してしまった。 ところが不思議なことに、その数日後、厨子が名取の閖上浜に漂着。里人たちが見てみると、厨子は少しも傷がついていなかったという。


上の写真は、釈迦如来像。 ウェブサイト「仙台市公式ホームページ」より画像を引用させていただきました。 釈迦如来像は、年に数回だけ開帳される。仙台市史6には、「参詣の者は何れも一枚の紙で釈迦の足の下を通し、 持ち帰つてお守りにする慣わしである。お釈迦さんの足の裏は台座にくッついているが紙は足の下全部をくぐるのが不思議だといわれている」という記述がある。


平成 18 年 3 月 11 日 ( 土 ) 掲載
令和 4 年 1 月 13 日 ( 木 ) 改訂


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