伝承之蔵

五島墓さん
仙台市/青葉区/片平

   昔、伊達政宗は、 五島 という馬を飼っていた。大阪の陣のとき、政宗が五島の鼻をなでながら、 「今度の合戦は、1200キロの長旅になる。おまえも年老いた。長旅の後の合戦は苦しいであろう。よって、おまえは留守番をしていろ」と命じたのだが、 そのとき、五島は、悲しそうな目で政宗を見つめていた。 そして、その翌日、五島は、仙台城の本丸から抜け出し、そのまま崖から転落して死んでしまった。 里人たちは、「『生きて役に立てないなら、死んだ方がましだ』とでも考えたのだろう」と噂し、 厩の者からの報告を聞いた政宗は、「畜生ながら、神妙なやつであった…」と言って、涙を流したという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

政宗は、五島の死を哀れんで、五島が転落して死んだ崖の下に死骸を葬り、墓を建てて懇ろに弔ったという。 その後、明治になってから、この墓は現在の場所に移され、里人から、“ 五島墓さん ”と呼ばれて親しまれている。 正式名称は、馬上蠣崎神社。因みに、この墓に参詣すると、子供の馬脾風を防ぐと信じられていた。


これが、馬上蠣崎神社の鳥居。



これが、馬上蠣崎神社の本殿。



平成 18 年 7 月 17 日 ( 月 ) 掲載
令和 4 年 1 月 13 日 ( 木 ) 改訂


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