勾当台の由来 |
仙台市/青葉区/本町 |
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慶長八年、伊達政宗は、新しく完成した仙台城に入城した。ある日、政宗が領地を視察していると、ある盲目の者が道端で土下座をしていたので、 政宗は、その者に名前を聞いた。すると、意外にも、その者は、 「 名に一字 違いありとて ことごとし 君は政宗 我は政一 ( あなたは“政宗”という名前で、私は“政一”という名前。名前に一文字だけ違いがあるだけで、なんとも、はなはだしい立場の違いであることよ ) 」と、 見事な狂歌で答えた。政宗は、その狂歌を賞賛し、数日後、その 花村政一 という者を仙台城に呼んで頭巾を与え、 「 赤裏も 伊達な人丸 頭巾かな ( この頭巾は、人目につかない裏面が、派手な赤い色になっているが、 粋なことをする柿本人麻呂が身につけそうな、立派な頭巾であることよ ) 」という狂歌を詠んで、 「政一、この狂歌はどうじゃな?」と聞いた。すると、すぐに、政一が、 「 破れ紙子も 柿渋のもと ( たとえ、破れた衣服であっても、そこには、防腐・防水剤として大切な柿渋が染み込んでいるということを、忘れてはいけません ) 」と答えたので、 政宗は、ますます感心し、その後、政一に勾当の位を与えた。 その盲目の狂歌師である花村勾当が住んでいた屋敷は、ある丘の上にあったので、いつしか、里人たちは、この屋敷のことを、“勾当台”と呼ぶようになったという。
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現地レポート |
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これが、養賢堂跡。現在は、宮城県の県庁になっている。
これが、養賢堂跡の碑。
これが、仙台藩の藩校であった養賢堂の全体図。赤丸が、正門。
平成 21 年 11 月 6 日 ( 金 ) 掲載
令和 4 年 1 月 14 日 ( 金 ) 改訂
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