伝承之蔵

仙台藩刑場跡
仙台市/泉区/七北田/杉ノ田

   元禄 三年、それまで 米ヶ袋 にあった仙台藩の刑場が、この里に移された。この刑場は、百姓や町人などの罪人が対象で、明治維新までの百七十八年間、磔・火焙・打ち首・獄門などの刑が執行されたのだが、処刑された人数に関して、ある里人は、「 五千三百人ぐらいが殺された! 」と噂し、また、ある里人は、「 いいや! 七千人は殺されたはずだ! 」と噂した。この里に刑場が移されてから五十年ほどがたったころ、第五代の仙台藩主である 伊達吉村 の妻の 長松院 は、この刑場で処刑された者たちを弔う仏堂がないことに心を痛めていた。その後、その長松院の遺言により、 延享 三年、刑場の南に河南堂を、また、刑場の北には河北堂を建てて、ここで処刑された者たちを弔ったという。

現地で採集した情報


現地レポート

これが、仙台藩刑場跡。この伝承の河南堂と河北堂は、現存していない。河南堂には“ 抜苦 ”、河北堂には“ 与楽 ”という額が掲げられていて、涅槃図も飾られていた。現在、抜苦の額と涅槃図は、洞雲寺に保存されているのだが、与楽の額の所在は不明である。


上の写真は、 洞雲寺 。洞雲寺の住職の話によると、「 抜苦の額は、お見せしていますが、涅槃図の御開帳はしていません 」とのこと。


これが、洞雲寺に保存されている抜苦の額。



これは、仙台藩刑場跡にある地蔵。土壇場の近くにあった地蔵なので、“ 首切り地蔵 ”と呼ばれている。この刑場跡にある説明文によると、この地蔵は、昔、奥州街道( 旧国道四号線 )の東側にあったのだが、昭和五十四年、道路の拡張にともなって、現在の位置に移されたという。


寛政 十年、オランダ医学を学んだ 木村寿禎 が、この里で腑分けをしたと言われており、七北田刑場腑分け供養碑が立てられていた。残念なことに、この碑は現存していない。しかし、寿禎の子孫の方によって、 仏眼寺 に、それを模した碑が祀られている。上の写真が、その碑。


余談ではあるが、洞雲寺には、この伝承の抜苦の額の他にも鮫の歯と思われる化石が保存されている。 大郷町板谷西山 の古老の話によると、板谷でも、鮫の歯と思われる化石が出土していて、「 昔から、板谷の鮫の歯の化石が“ 男 ”で、洞雲寺の鮫の歯の化石が“ 女 ”だと言われている」のだという。これは、五百年ほど前から板谷に伝承されている話で、他に、恐竜の骨と思われる化石なども出土しているらしい。その話の真偽は不明であるが、その古老は、「 何かの動物の骨や歯であることは確実らしい 」と証言している。


洞雲寺には、他にも面白い化石が展示されている。上の写真は、天狗の爪の化石。



これは、大蛇の歯の化石。



これは、大蛇の骨の化石。



これは、大蛇の鱗の化石。



平成 22 年 1 月 8 日 ( 金 ) 掲載
令和 5 年 7 月 19 日 ( 水 ) 改訂


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