伝承之蔵

燕沢の由来
仙台市/宮城野区/燕沢

   弘安四年、蒙古軍が日本に攻めてきたとき、暴風雨のために軍船が海に沈み、蒙古軍は多くの死傷者をだした。 その後、この里まで逃げてきた生き残りの兵が疲労のため倒れていたところ、 たまたま通りかかった僧が、この兵を哀れんで、 善応寺 に連れて帰って介抱した。 しかし、このことが鎌倉幕府に知れると、すぐに、幕府の武士が寺に踏み込んできて、その兵を寺から引きずり出し、首を斬って殺害。 その兵が首を斬られたとき、大量の鮮血が近くの沢に飛び散ったので、 いつしか、里人たちは、この沢のことを、“チバネ沢”と呼ぶようになった。そのチバネ沢が、後に、“ツバメ沢”となり、さらに、“ 燕沢 ”になったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

これは、善応寺の入口。



これが、善応寺の山門。



これが、善応寺の本堂。



赤丸が、蒙古の碑。この伝承では、この碑の下に蒙古の兵を葬ったとなっている。 しかし、近くにあった、この碑の説明文には、「 もと燕沢地内の塩釜街道安養寺跡にあったがこの地に移された。 … ( 中略 ) … 、 移転の際碑の下より経文の一字一字を書いた 丸い小石が多く掘り出されたので 『 大乘妙典一字一石之塔 』であるといわれ 弘安の役の際、元軍の戦死者追善のために… 」とある。


これが、蒙古の碑。



文字は鮮明に読みとれる。しかし、意味がほとんどわからない。近くにあった、この碑の説明文には、「 碑文は 省畫 が多く文意不明である 」とある。


平成 18 年 3 月 25 日 ( 土 ) 掲載
令和 4 年 2 月 4 日 ( 金 ) 改訂


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