伝承之蔵

蕎麦米坂
仙台市/宮城野区/岩切/入山

   昔、 伊達政宗 が、 岩切城 の今市氏を攻めたとき、政宗は、「 山にある城なので、水は乏しいであろう 」と判断。岩切城の水源を絶ち、じっと水がなくなるのを待った。 ある日、岩切城で、水を滝のように流して馬の足を洗うようすが見えたので、伊達軍は、「 敵には水があるぞ! 」と叫んで狼狽したのだが、 政宗だけは、その“水”に烏が群がっていることに気づき、「 あれは水ではない。敵には、もう水がないぞ! 」と言って総攻撃をしかけ、たちまち岩切城を落城させた。 岩切城が落城した後、里人たちが、ある坂を通っていると、今市氏が、水にみせかけるために使った蕎麦の実と米が残っていたので、 いつしか、里人たちは、この坂のことを、“ 蕎麦米坂 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、岩切城跡への入口。



この道を進んでいく。



やはり、城だけあって険しい…。



おっ!山頂が見えてきた。



これが、岩切城跡。



岩切城跡からの景色。



岩切城の入口から数百メートル西に、蕎麦米坂があった。しかし、残念ながら、蕎麦米坂は道路整備で消滅し、現存していない。


赤線の地層あたりが、蕎麦米坂。



はっきりと地層に残っている。



かなり急な坂であったことが分かる。古老の話だと、馬車が、やっと通行できる幅だったという。



古老が、蕎麦米坂があった地層から土をとって見せてくれた。黒いのが、蕎麦の実に似ている石。白いのが米に似ている石。 昔、この坂には、これらの石が多く見られたので、蕎麦米坂と呼ばれるようになった。


因みに、昔、このあたりには、多くの松の木があった。しかし、太平洋戦争の時、その多くが伐採され、 この近くにあった防空壕の内装の補修に使われたという。また、松根油をとって戦闘機の燃料にしたため、さらに多くの松の木が伐採された。


平成 18 年 3 月 29 日 ( 水 ) 掲載
令和 4 年 2 月 4 日 ( 金 ) 改訂


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