伝承之蔵

兜塚 2
仙台市/太白区/根岸町

   慶長 年間、 小人組 の百三十人が反乱をおこした。 伊達政宗 は激怒し、すぐに、反乱軍を鎮圧。小人組の百三十人は処刑され、その首級は、塚を築いて埋められた。 そのため、いつしか、里人たちは、この塚のことを、“コビト塚”と呼ぶようになり、その後、“カブト塚”と呼ぶようになったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、 兜塚



近くにある説明文によると、五世紀後半に造営された前方後円墳だという。現在は、後円部分のみが残っている。



明治初期の頃、この塚の一部を畑にしたところ、 長町 で大火災がおこった。この時、里人たちは、兜塚の祟りだと噂したという。


平成 18 年 5 月 20 日 ( 土 ) 掲載
令和 5 年 7 月 12 日 ( 水 ) 改訂


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