伝承之蔵

鎧淵
仙台市/太白区/根岸町

   文治 五年、 源頼朝 の奥州征伐のとき、 藤原泰衡 は、 大河兼任 に、この里を守らせた。兼任は、広瀬川の川岸に杭をうち、川底には大きな網をはって、頼朝軍が来るのを待っていた。 数日後、両軍は激突し、激しい戦いとなったのだが、そのとき、兼任の乗っていた馬の足が、川底の網にひっかかり、動けなくなってしまった。 小栗重成 は、この機会を見逃さず、矢を射って兼任を殺害。兼任は、深い淵の底に沈んでいった。 そのため、いつしか、里人たちは、この淵のことを、“ 鎧淵 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

赤丸のあたりが、鎧淵。宮沢橋から撮影した。遠くに見えているのが、広瀬橋。



これは、宮沢橋。古老の話によると、宮沢橋と呼ばれる前は、“ 一銭橋 ”と呼んでいたという。昔は、橋を渡るときに通行料を支払っていたのだが、その通行料が一銭だったので、一銭橋と呼んだらしい。


平成 18 年 5 月 20 日 ( 土 ) 掲載
令和 5 年 7 月 12 日 ( 水 ) 改訂


地図