伝承之蔵

首かしげ如来
仙台市/若林区/新寺

   昔、藤原氏からの要請で、 運慶 が仏像をつくることになったとき、平泉への旅の途中、黒川郡の落合にあった 報恩寺 で一夜の宿をとることになった。 運慶は、この恩に報いるために、観世音菩薩と二十五菩薩をつくって寺に奉納したのだが、 一六六九年に報恩寺が現在の場所に移った後の一八四五年、 川内 から出火した 階禄の災 で寺が全焼してしまう。 その火災のとき、寺の僧たちは、多くの像を運びだしたのだが、阿弥陀如来像だけは、大きすぎて首だけしか運べなかったので、 新しく胴体をつくり、運びだした首と組み合わせた。

   その後、一九七八年の宮城県沖地震で、再び、この寺に大きな被害がでたとき、住職が阿弥陀如来像を見てみると、 首が少し傾いているように見えた。「 まさか…、首と胴体のつなぎ目が… 」と思い、 里人たちに確認してもらったところ、「 ん〜…、少し傾いていますね… 」とのことだったので、 いつしか、里人たちは、この阿弥陀如来像のことを、“首かしげ如来”と呼ぶようになったという。

現地で採集した情報


現地レポート

これが、報恩寺の入口。



これが、報恩寺の本堂。



これが、“阿弥陀如来と二十五菩薩”。黒川郡の落合に安置されていた時は、“観世音菩薩と二十五菩薩”と呼ばれていたのだが、 仙台に移って改宗した後は、阿弥陀如来と二十五菩薩と呼ばれるようになった。 住職の話によると、これらの像が運慶の作であるという証拠はないという。


住職の話によると、これらの菩薩の中には、階禄の災のときに運びだされて助かった菩薩と、その後、新しく作った菩薩が混ざっているのだが、どれがどれだかは、よく分からないらしい。


これが、首かしげ如来。



微妙ではあるが、確かに、写真に向かって右側に傾いている。「阿弥陀如来?」みたいな感じ…。



平成 18 年 5 月 26 日 ( 金 ) 掲載
令和 4 年 2 月 6 日 ( 日 ) 改訂


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