伝承之蔵

跡部嘉治平の豪快な死
仙台市/若林区/新寺

   昔、この里に、 跡部嘉治平 という者が住んでいた。羽黒山の行者として修行していた嘉治平は、たいそう不思議な力をもっていて、 その力で、仙台と江戸の間を一日で往復することもできた。 ある日、嘉治平が、仙台藩主の供をして京の都に行くと、すぐに、その力が噂となって天皇の耳にまでとどき、天皇から法印の位を賜ることになった。 喜んだ嘉治平が、うれしさのあまり、近くにあった親王の 網代輿 を乗りまわして遊んでいると、 それが見た公家たちが激怒し、一転して、死刑となることが決まった。

   処刑の日、同心が、嘉治平を土壇場にすえてから首を斬ったところ、不思議なことに、嘉治平の体が煙のように消えてしまい、 その後には一本の 幣束 が立っているのみであった。 数日後、ある里人が、死刑になって死んだはずの嘉治平に仙台で会ったので、不思議に思った里人が、 「 おい!嘉治平!どこに行くんだ! 」と聞いたところ、「 おぅ!これから南の方へ行くところだ! 」と答えたという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

現在、嘉治平の墓は、 光寿院 にある。これが、光寿院の山門。



これが、光寿院の本堂。



本堂の横に、細い道がある。赤丸が、嘉治平の墓。



これが、嘉治平の墓。現在は、嘉治平の子孫の方が管理している。



この墓石は、傷だらけになっている。これは、当時、この墓石を煎じて子供に飲ませると、 セリセキ に効くと信じられていたためである。


不思議な力をもっていた嘉治平は、しばしば、切支丹の疑いをかけられて牢屋に入れられたのだが、 ケロッとして普通に生活していたらしい。このような大らかさが、嘉治平の最大の魅力である。


平成 18 年 5 月 29 日 ( 月 ) 掲載


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