伝承之蔵

神に教育された僧
仙台市/若林区/土樋

   弘安元年、戦国大名である 大崎義孝 に、赤ん坊が生まれた。ところが不思議なことに、その赤ん坊は、生まれた瞬間、大崎家の紋のついた太刀や巻き物とともに姿を消し、行方不明になってしまった。

   それから三年後のある日、義孝が狩を楽しんでいると、山の中でひとりで遊んでいる子供がいたので、義孝は、「こんな山の中で、子供が、ひとりで遊んでいるとは…」と不審に思い、その子供を、自分の屋敷に連れて帰った。すると、その夜、義孝は、ある夢を見た。白い 直垂 を着た 舎人 が、百人ほどで義孝の寝室を取り囲み、その中の一人が、「この子供を、五歳まで、われわれに教育させていれば、天下の英雄になったであろうに…。たいへん残念である。しかし、数日後、ある修行僧が、この里に来るので、その僧に、この子供を教育させるがよい」と言って、姿を消した。

   義孝が目を覚ますと、三年前、赤ん坊が生まれたときになくなった、太刀や巻き物が、枕元に並んでいた。その子供が、自分の子供であることを知った義孝は、夢のお告げにしたがって、その修行僧に、自分の子供を教育させた。その子供こそが、後に、時宗の五代 遊行上人 となる、 安国上人 であったという。

参考 『 仙台市史 6 』
現地で採集した情報


現地レポート

安国上人に関しては、この他にも、いろいろな話が伝わっている。  @ ある日、大崎義孝が狩をしていると、一匹の狐が逃げていったので、義孝が、その狐の後を追っていくと、その狐の巣の中に、泣いている子供がいた。義孝は、その子供を、祖父の供養のために、岩手県の江刺市に来ていた一遍上人にあずけたのだが、この子供こそが、後の、安国上人だったという。  A 昔、仙台で大きな火災があった時、逃げ遅れた里人がいたのだが、その時、白い狐に乗り、黒衣をまとった者が現われて、この里人を救出した。すると不思議なことに、その数日後、ある寺にあった安国上人の像に、焼けた跡があったという。


安国上人は、今後、自分が赴くであろう十二の寺に、それぞれ、一体ずつ自像を刻んで送ったらしいのだが、その十二体の像に関して、詳しいことは分かっていない。その十二体の中の一つであると伝承されている像が数体あるが、それらの像は、年代も様式もさまざまであり、その真偽は不明である。その数体の中の一つが、真福寺にある、“安国上人坐像”であり、仙台市の指定文化財になっている。


これが、真福寺の入口。



これが、真福寺の本堂。



これが、真福寺の安国堂。この中に、安国上人坐像が安置されている。悲しいことに、賽銭の盗難が多いので、警備システムが導入されていた。赤丸が機械警備の装置。


赤丸が、安国上人坐像。因みに、像を安置している枠は、江戸時代につくられたもの。



これが、安国上人坐像。鎌倉時代末期〜室町時代初期につくられたものであると推定されている。



住職の話によると、赤丸のように、両裾が左右対称になっている場合、その多くが、ある程度、作成技術が完成された時期の像だという。


これは、安国堂の隣にある、子育稲荷神社。



これは、子育稲荷神社の中。御神体はない。住職の話によると、賽銭の盗難が多く、御神体が、盗難の危険にさらされているので、本堂の中に安置しているのだという。


平成 18 年 7 月 12 日 ( 水 ) 掲載
令和 5 年 7 月 11 日 ( 火 ) 改訂


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