伝承之蔵

棒ふり田
富谷市/三ノ関/膳部沢下

   昔、 伊達政宗 は、 黒川晴氏 の居城である 鶴巣城 を攻めたのだが、鶴の陣形をしている鶴巣城が難攻不落の城だったため、なかなか落城させることができなかった。ある日、政宗は、鶴巣城の城下に間者を放ち、ある老婆から、「 あの城の急所は、ただ一つ。鶴の陣形の首にあたる部分を切断すれば、すぐに落城します 」という、鶴巣城の弱点を聞きだしたので、すぐに、鶴の首にあたる部分を攻め、その日のうちに鶴巣城を落城させた。

   数日後、その老婆は、政宗に呼びだされたので、「 よかった。恩賞をもらえるんだ 」と思って喜んだのだが、政宗は、「 おまえは、恩賞のために領主の弱点を教えた裏切り者だ! 」と叫んで、その老婆の首を斬り落とし、無残にも、近くにあった田に、その首を投げ捨てた。その後、その田を耕す者がいると、恨めしい表情をした老婆が現われ、棒をふりまわして耕作の邪魔をするようになり、必ず、その田を耕す者の一家が原因不明の病気になって死に絶えたので、いつしか、里人たちは、この田のことを、“ 棒ふり田 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 新訂 富谷町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

現在、棒ふり田は、道路になっている。赤い矢印のあたりに、棒ふり田があった。古老の話によると、このあたり一帯は湿地帯だったので、棒ふり田は、まるで沼のように見えたという。


このあたりに、面積が 五畝 ほどの棒ふり田があった。昔、この場所を水田にした里人がいたらしいのだが、その里人の一家は、腸チフスになって死に絶えてしまった。また、古老の話によると、数年前、この里に病気が蔓延したので、ある専門家に鑑定してもらったところ、「 ある場所に老婆が見えた 」とのことだったので、その場所を調べてみると、昔、棒ふり田があった場所であった。その後、その専門家に御祓いをしてもらい、里人たちの心を安定させたという。


古老が幼い頃に聞かされた話は、この伝承とは違い、「 長い間、鶴巣城を落城させることができなかった政宗は、『 老婆の助言で落城させたとあっては武士の面目にかかわる 』と思い、その老婆の首を斬って口を封じた 」というものであったという。


これは、鶴巣城があった山。



これは、鶴巣城跡の入口。



途中に、八幡神社がある。



赤い矢印は、下草コミュニティセンター。その右にある道を進む。



農業用の溜池がある。赤い矢印の道を進む。



どんどん進む。



ここが、鶴巣城跡。



神社があったのだが…。



御神体はなかった。どこか他の場所で保管されているのであろうか。



これは、鶴巣城跡からの風景。



上の図は、鶴巣城の復元図。 ウェブサイト 「 余湖くんのホームページ 」 より画像を引用させていただきました。 この図から、鶴巣城がどのような鶴の形だったのかを推量すると…。


このような形から、鶴巣城と呼んでいたのかもしれない。



平成 18 年 3 月 12 日 ( 日 ) 掲載
令和 5 年 12 月 5 日 ( 火 ) 改訂


地図