伝承之蔵

富谷の由来
富谷市/富谷/落合

   昔、この里に、絶世の美女が住んでおり、その美女に求婚する里人が多く、その美女は困り果てていた。 紫太夫 という美男も、その中の一人であったのだが、毎晩のように、その美女に求婚してきたので、ある日、その美女が、紫太夫のことを修験者に占ってもらったところ、その修験者は、「 その美男こそ、魔性のものに違いない 」と言って、紫太夫の正体を突きとめる秘策を美女に授けた。

   ある夜、いつものように求婚してきた紫太夫に、その美女は、「 明日の夜、はっきりと返事をいたします 」と言って、紫太夫の着物の裾に、そっと糸を縫いつけ、翌朝、その糸をたどってみると、その糸は大きな木の洞の中に続いていた。そこで、その美女が、その洞の中を覗いてみると、大蛇が眠っていたので、そこではじめて、その美女は、紫太夫が大蛇の化身であることを知った。そして、その次の夜、返事を聞きにきた紫太夫に、その美女は、「 熊谷源内 にある大きな木に、 の巣があります。その巣から、卵をとってきてくれたら、あなたと結婚いたしましょう 」と言ったのだが、いつになく、紫太夫は寂しそうな表情を見せ、その後、紫太夫が、その美女の屋敷を訪ねてくることはなかった。

   数日後、その噂を聞いた里人たちが、源内にある大きな木に行ってみると、そこには、無残にも、バラバラに切断された大蛇の死骸があった。あの日の夜、大蛇は、鸛の卵を奪うために、卵を守る鸛と格闘になったのだが、大蛇が、卵をかかえた鸛をぐるぐる巻きにして、卵を奪おうとした次の瞬間、鸛は自慢の羽をはばたかせて反撃し、大蛇の体を十個の破片にして周囲に飛び散らせ、大蛇を殺していた。このことを知った里人たちは、「 この大蛇の美女への愛は、ここまで深かったんだなぁ…。かわいそうに… 」と噂し、その十個に切断された死骸を十ヶ所に葬り、それぞれに宮を建てて懇ろに弔ったので、いつしか、里人たちは、この宮のことを、“ 十の宮 ”と呼ぶようになった。その十の宮が、後に、“ とうのみや ”となり、さらに、“ とみや ”になったという。

参考 『 新訂 富谷町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

富谷市の民俗ギャラリーに問い合わせたところ、「 日吉神社 を含む七社と、 熊野三社 を合わせて、十の宮ではないかと考えられています 」とのことであった。ただし、残念なことに、十の宮で現存しているのは、日吉神社だけである。上の写真は、日吉神社の鳥居。


これは、日吉神社の鳥居の近くにあった説明文。



階段を上ると、日吉神社の本殿がある。



これが、日吉神社の本殿。



上の写真は、日吉神社にあった碑。「 日吉神社には、日吉神社を含む七つの神社の名が刻まれている碑がある 」・「 現在も、十の宮を建立した跡が残っている 」・「 明治 四十一年、最後に残った日吉神社を 熊野神社 に合祀した。この熊野神社は、以前、十の宮の中の一つであった熊野神社である 」などの情報もあったのだが、日吉神社には、七つの神社の名が刻まれている碑などなかったし、この里には、十の宮の跡もなかった。また、そもそも、内容自体が矛盾している情報は、その信憑性に問題があり、真偽を確認する作業から外した。


平成 18 年 3 月 13 日 ( 月 ) 掲載
令和 5 年 12 月 10 日 ( 日 ) 改訂


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