伝承之蔵

沢口覚左衛門と珍獣
加美町

   文化 年間、 沢口覚左衛門 という猟師が狩猟をするために、この里の百姓である 源吉 という者の家に泊まったのだが、その家の翁に、 陣ヶ森 という狩り場があることを聞いた覚左衛門は、「 そうか、そんな良い狩り場があるなら、そちらで狩猟をしよう 」と思い、狩り場を変更した。そして、翌朝、陣ヶ森の頂上に到着してあたりを見まわすと、広い沢があり、しばらくすると、その広い沢から鹿の鳴き声が聞こえたので、「 これは良い獲物だ! 」と思った覚左衛門は、鹿笛を吹いて鹿を近づかせようとしたのだが、突然、その沢の奥の方から、女性の笑い声が聞こえてきた。覚左衛門は、「 ん?こんな山の中に女がいるとは、茸でもとっているのかな? 」と思いながら、さらに、鹿笛を吹いたのだが、その沢の奥の方から、さらに、大きな笑い声がしてきたため、その笑い声に驚いた鹿が逃げてしまった。覚左衛門が、「 鹿笛の音色に合わせて笑うとは、なんていう女だ! 」と思ってイライラしていると、サヤサヤと茅をかきわけて覚左衛門に近づいてくる者がいた。

   覚左衛門に近づいてきている者の全身は、豆殻でもまとっているような茶色で、尻尾のようなものがついており、顔の色は 猩々緋 のように赤く、髪は月毛馬の背のように薄い赤みを含んだ白色であった。その姿を見た瞬間、覚左衛門は、「 これは驚いた!あれは、 実なり猿 だ! 」と、思わず叫んでしまった。そのころ、実なり猿の脇の下の皮は、高貴な方の槍の 尻鞘 をつくるのに適するとされていたので、覚左衛門は、「 こんな珍獣に遭遇するなんて、おれは、ラッキーだ! 」と思い、その珍獣を鉄砲で撃ったところ、その珍獣は痛さのあまり、叫びながら沢の奥の方へ逃げていった。そして、しだいに、叫び声が弱くなっていき、唸り声になり、ついには、音もなく静かになってしまった。

   「 よし!死んだぞ! 」と思った覚左衛門は、沢の奥へ行こうとしたのだが、足を滑らせて沢の底まで落ち、鉄砲をなくしてしまった。「 猟師にとって鉄砲は命よりも大切なものだ。珍獣の死体よりも、まずは鉄砲を探そう 」と思った覚左衛門は、必死になって鉄砲を探したのだが、いくら探しても見つけることができなかった。 「 殿様に珍獣を献上しようと思ったが、商売道具の鉄砲をなくしたとあっては、猟師の面目がたたない 」と思った覚左衛門が、どうしようか思案していたところ、「 そうだ!こんなときこそ、神の力を借りよう! 」と思いつき、大きな声で、「 もう、珍獣はいりません!しかし、鉄砲だけは返してください! 」と、神に祈願した。すると不思議なことに、覚左衛門が、ふと、地面を見てみると、そこには、あれだけ探しまわっても見つからなかった鉄砲が突き刺さっていた。覚左衛門は神に感謝し、「 神よ!ありがとうございます! 」と叫んで、「 よし!次は珍獣の死体を回収しよう! 」と思ったのだが、「 いや、さっき、『 珍獣はいりません!しかし、鉄砲だけは返してください! 』と祈願したので、珍獣の死体を回収すると、神に嘘をついたことになる。今日は、このまま帰るとしよう 」と考え直し、そのまま、源吉の家に帰った。そして、覚左衛門は、源吉たちに、すべてのことを話し、「 数人の里人が手をかしてくれれば、必ず、珍獣の死体を回収できる 」と言うと、源吉たちは顔色を変えて、「 あなたの勇気は認めるが、こうして無事に帰ってこられたのは奇跡なんだよ。その沢は、“ 四日切 ”と呼ばれていて、いつも恐ろしいことがおこる場所なんだ。そんな場所に行く者は、この里には誰もいないよ 」と答えた。覚左衛門は、「 源吉たちは、ああ言っていたが、もしかしたら、『 行ってもいいですよ 』という者がいるかもしれない 」と思ったので、すべての里人に、「 珍獣の死体を回収しに行かないか? 」と勧めたところ、誰一人として同意しなかったので、ついに、珍獣の死体を回収できなかったという。

参考 『 宮崎町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝承の陣ヶ森に関して、ウェブサイト 「 怪異・妖怪伝承データベース 」(ここをクリック)には、「 切込村の百姓源吉方を宿として、そこから3里ほど山奥の陣ヶ森に猟に出かけた 」との記述があるので、色麻町にある 陣ヶ森山 のことを指していると推量できる ( ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます )。


陣ヶ森の由来に関しては、天正十九年、この里の領主であった 笠原隆親 の宮崎城が敵に攻められて落城しそうになった時、 最上義光 が隆親のために援軍を送ったのだが、その援軍が陣をとった山なので、陣ヶ森と呼ばれるようになった。また、陣ヶ森の中の珍獣がでる沢を四日切と呼ぶのは、上記の援軍の兵の荷物を、その沢まで運ぶのに四日かかり、その四日目に隆親の城が落城したので、四日切と呼ぶようになったとのことである。


平成 21 年 5 月 1 日 ( 金 ) 掲載
令和 6 年 1 月 18 日 ( 木 ) 改訂