伝承之蔵

生き埋めにされた女中の呪い
加美町/君ケ袋/前田屋敷

   昔、この里に、大きな館を構えた領主が住んでいて、その館では多くの女中が働いていたのだが、ある日、その女中の一人が、領主が大切にしていた皿をわってしまった。これを知った領主は激怒し、その女中を庭にあった井戸に投げ入れ、その井戸を埋めて女中を生き埋めにしたところ、「 あの後、毎晩のように、この女中の亡霊が館に現われ、『 一枚…、二枚…、三枚… 』と皿の数をかぞえている 」という噂がささやかれるようになり、女中たちは、たいそう不安を感じながら、その館で働くようになった。そして、その数百年後、この館跡に建てられた屋敷に、 後藤喜三 さんが住むようになったのだが、ある日、喜三さんの妻が、原因不明の眼病になったとき、心配した喜三さんが祈祷師に祈祷してもらったところ、「 これは、昔、井戸に埋められた女中の祟りです 」とのことだったので、すぐに、喜三さんは供養碑を建てて、その女中を供養した。すると不思議なことに、喜三さんの妻の眼病は、たちまち治癒したという。

参考 『 宮崎町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝承は、 天文 十二年に建てられた 君ヶ袋館 でのことだとされている。上の写真が、君ヶ袋館の跡地。



宮崎町史では、後藤喜蔵と記述されているが、これは、後藤喜三の誤りである。赤い矢印は、後藤家の本家の屋敷。



約15年前、私が、この伝承に関して、後藤家の本家の古老に聞いたところ、「 そんな話は聞いたことがないねぇ…。供養碑?そんなもの見たことないよ 」とのことであった。宮崎町史に固有名詞が掲載されているにもかかわらず、本家の古老が知らないというのは興味深い。本当に古老が知らない架空の話なのか、後藤家の内部の話なので他人には知られたくないということなのか、さまざまなことが考えられるが、詳細は不明である。因みに、その古老の話によると、喜三さんは、後藤家の分家として他の屋敷に住んでいるとのことであった。


平成 21 年 5 月 6 日 ( 水 ) 掲載
令和 6 年 1 月 18 日 ( 木 ) 改訂


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