熊沢銅山とキリシタン |
加美町/宮崎/湯の倉一番 |
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昔、この里に、 熊沢銅山 という銅山があり、二千人ほどの里人たちが働いていたのだが、この銅山で働く里人たちは、治外法権的な性格をもった集落を形成していたので、キリシタンの弾圧に寛大だった仙台藩でキリシタンが隠れ住むには、絶好の里であった。 下田 で育ったゆかりは、死別した夫である 幸作 の、「 熊沢銅山に住んでいる 丈右衛門 夫婦のところに行き、キリストと共に強く生きよ! 」という遺言に従って、娘のひろみと一緒に熊沢銅山へ向かって旅をしていたのだが、その旅の途中、ある里に滞在していたとき、幕府のキリシタン弾圧の危険を感じたゆかりは、ひろみを呼んで十字架をわたし、「 私は、老いているため、もうどこにも行けません。この十字架を私だと思って大切にしなさい。強く生きるんですよ。さあ、早く裏の道から逃げなさい 」と言ってひろみを裏口から出した直後、家に入ってきた役人に逮捕されてしまった。その後、ひろみは、なんとか、丈右衛門夫婦のところに到着。丈右衛門夫婦は、ひろみに家族と同じような愛情をそそいだのだが、ある日、キリシタンが集まる月例会で、それぞれが胸で十字を切って静かに聖歌を唱えていると、突然、役人たちが家に侵入してきた。そのとき、ひろみは無事に逃げることができたのだが、八人のキリシタンが役人に逮捕されてしまった。 役人たちが、八人のキリシタンを逮捕したことを奉行所に報告すると、奉行所は、「 転ぶ まで拷問しろ!転べば殺さなくてもよい! 」と、役人に命令した。役人たちは薪を並べた上にキリシタンを正座させ、膝の上に重い石を積み重ねた後、「 キリシタンなどやめて、仏教に改宗しろ! 」と叫びながら、キリシタンたちの背中を鞭で打った。キリシタンたちの背中からは真っ赤な血が流れ、両足の皮や肉はなくなって骨が見えているような状態であったが、それでも、キリシタンたちは、その苦痛にジッと耐えていた。拷問に耐えかねて気絶するキリシタンがいても、水をかけられて蘇生された後、さらに拷問が続けられたのだが、キリシタンたちは、「 デウス!マリア!デウス!マリア! 」と口々に唱え、誰一人として仏教に改宗するキリシタンはいなかった。半月が経過しても、その状況が変わらなかったので、とうとう、役人たちは、その八人のキリシタンたちを処刑。処刑される瞬間も、その八人のキリシタンたちは、「 デウス、デウスよ!主に永遠の栄えあれ! 」と叫んで、死んでいったという。
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現地レポート |
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上の画像は、石抱き。
ウェブサイト 「 アンソニーのひとりごと 」 より画像を引用させていただきました。
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上の画像は、海老責め。
ウェブサイト 「 和樂 」 より画像を引用させていただきました。
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上の画像は、吊るし責め。
ウェブサイト 「 私立拷問電脳図書館 」 より画像を引用させていただきました。
平成 21 年 5 月 28 日 ( 木 ) 掲載
令和 6 年 1 月 22 日 ( 月 ) 改訂
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