伝承之蔵

今野家の呪い
加美町/宮崎/坂下二番
加美町/宮崎/中山二番

   開墾ブームであった 昭和 四十年ごろ、この里に住んでいた 千葉熊治 さんは、同じく、この里に住む 今野えなを さんから今野家の土地を買い、開墾ブームに乗って、その土地を開墾したのだが、千葉家が今野家から買った土地の中央には、今野家の墓が鎮座していたので、熊治さんは、開墾の妨げになっている今野家の墓を整地してから開墾を続けた。ところが、それ以後、千葉家には多くの病人がでたうえ、夜な夜な、屋敷に亡霊がでるようにもなったので、熊治さんが、祈祷師に見てもらったところ、「 今野家の墓を、今野家に返して改葬しろ! 」との御託宣があったので、さっそく、千葉家と今野家は、今野家の菩提寺である 西光寺 に改葬することにした。このとき、墓石だけを移したのでは意味がないということで、同時に、棺を埋めたあたりの土を運ぶことになったのだが、棺が埋めてあったあたりに鋤鍬を入れたところ、突然、地面がピカッと山吹色の光りを放った。そこで、その場にいた里人たちが、恐る恐る地面を掘ってみると、小判・寛永通宝・銀の鏡・壺・皿などがでてきたので、それらの副葬品と遺骨を持って西光寺に行き、無事に改葬をすませると、不思議なことに、それ以後、千葉家には不幸なことはおきなくなったという。

参考 『 宮崎町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、今野家の菩提寺である西光寺の入口。



これが、西光寺の山門。



これが、西光寺の本堂。



この伝承の墓地を含む今野家の土地と、この里にある 中山観音堂 は、もともとは樋口家のものであった。 宝暦 年間、樋口家の未亡人が、禅尼( 法名:道涛妙林禅尼 )となって観音堂の別当をしていたのだが、禅尼が死ぬとき、「 土地と観音堂は、的場( 今野家の屋号 )に譲る 」と遺言したので、今野家が全てを引き継いだ。上の写真の赤丸が、中山観音堂。ところが、その後、今野家が没落してしまってため、土地も観音堂も売却されてしまう( 現在は、今野家が土地も観音堂も買い戻している )。今野えなをさんの子孫である 今野忠彌 さんの話によると、樋口家が、この里を去るとき、この土地や観音堂についての由来などを全く話していかなかったので、現在も、この土地や観音堂に関しての詳細は不明とのこと。因みに、宮崎町史には、“ 今野いなよ ”とあるが、これは誤り。正しくは、“ 今野えなを ”である。


中山観音堂へは、この道を進む。



そして、森の中へ入る。



赤い矢印が、中山観音堂。



これが、樋口家から今野家に譲渡された中山観音堂。 中山に わけてあゆみを 運ぶなら 尚も仏の 道はひらけん( 草をかきわけかきわけ、中山観音堂まで足を運んだならば、今より、いっそう、悟りの道が開けるであろう ) という 中山観音御詠歌 が残されている。


上の写真は、中山観音堂の鍵。赤い矢印の部分には、「 地主 今野勝之助 」とある。



また、その裏には、「 明治 十二年四月十七日 」とある。中山観音堂が、樋口家から今野家に譲渡されたことを証明する証書などは一切ない。しかし、私は、この鍵が今野家に伝わっているということ自体が、譲渡があったことを示す一定の証拠になると思う。


忠彌さんの話によると、没落した今野家は、上の図のように少しずつ土地を売却していったという。しかし、「 いくら何でも、墓までは… 」との思いから、今野家の墓地だけが最後まで残ってしまった。ところが、売却先の千葉熊治さんからすると、土地の中央に墓地があったのでは開墾しにくいので、今野家に相談することなく勝手に墓地を整地してしまった。それ以後、不幸が千葉家を襲うようになる。まず最初に熊治さんの妻が死亡。熊治さんが、祈祷師に見てもらったところ、「 今野家の墓地を勝手に整地して、墓をふみ荒らしたからだ! 」との御託宣があったのだが、熊治さんが、「 今どき、そんなことで人が死ぬわけないだろう。まったく、バカバカしい 」と言って無視していると、今度は、熊治さんの父親が脳梗塞で倒れて半身不随になってしまった。不安になった熊治さんが、また、別の祈祷師に見てもらったところ、前に見てもらった祈祷師と同じ御託宣であった。その後も、数人の祈祷師に見てもらったのだが、結果は全て同じであった。ある日、熊治さんの息子である 千葉栄 さんが、町中でえなをさんと会ったとき、「 何とか、今野家で供養してもらえないだろうか… 」と依頼したのだが、今野家では、「 今野家の墓地を勝手に整地しておきながら、何を勝手なことを… 」という認識であったため、特に供養することもなかった。ところが、その後も、千葉家では不幸なことが起こり続けたので、栄さんは町中でえなをさんに会うたびに、「 お願いします、どうか供養してください 」と、何度も何度も依頼した。あまりに、しつこく頼まれたので、えなをさんも、「 まぁ…、特に今野家にとって良いことがあるわけではないが、悪いことがあるわけでもないので、供養してもいいか… 」と思って供養したのだという。


平成 21 年 6 月 8 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 23 日 ( 火 ) 改訂


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