伝承之蔵

井戸が掘れない里
丸森町/上林東

   昔、この里には、「 井戸を掘ると火災にみまわれる 」という伝承があったので、けっして、里人たちが井戸を掘ることはなかった。ところが、使用していた の水が汚くなってきたので、ある年、「 伝承を信じてもしょうがない。今の生活の方が大切だ 」ということになり、他の里に井戸を掘って、共同で使用したところ、不思議なことに、この里の屋敷で火災がおこったので、里人たちは、あらためて、神の霊験を恐れたという。

参考 『 丸森町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真は、この里で、 幸霊神社 と呼ばれている神社。昔は、“ 善之亟 さん ”と呼ばれていた。現在、この里に住んでいる 船山友二郎 さんの曽祖父である 船山長治老 さんが、 明治 時代、伊勢の神社庁から幸霊神社としての神格を得たらしい。丸森町史には、「 何故善之亟さんと呼ぶのか、井戸を掘ると火災に遭うのか、はっきりしないが 」とあるが、幸霊神社の隣に住んでいる、 船山松雄 さんの話によると、善之亟さんとは、昔、船山家に住んでいた 行者 だという。松雄さんが、船山家の戸籍を調べたところ、六代前までは正確な人間関係が判明していて、六代前までは、善之亟さんが船山家に住んでいたという話もないので、少なくとも、それ以前のことだと推量していた。因みに、船山家は、奥州平泉の藤原家の落ちこぼれで、この里に流れてきて住み着いた一族である。


昔、この里では、町水道ができる前は簡易水道を利用していて、それ以前は、湧き水を利用していた。松雄さんは、さらに、それ以前には、現在も幸霊神社の裏にある古井戸を使用していたのではないかと推量している。上の写真が、幸霊神社の裏にある古井戸。この里の井戸水は、“ 脂肪水 = しぼうみず ”といって、いくら掘っても、これ以上の水質の水はでないという特別な地層にある水らしい。そのため、善之亟さんは、無駄に井戸を掘ることを禁止したのだという。ところが、今から五十一年前、この禁を破って井戸を掘ったところ、松雄さんの屋敷が全焼してしまった。この伝承にある火災が起こった屋敷というのは、松雄さんの屋敷である。


この火災で松雄さんの屋敷は全焼してしまったが、隣の幸霊神社は、まったくの無傷であったという。私が、「 へぇ〜 、不思議なこともあるもんですね。善之亟さんの御利益ですかね? 」と言ったところ、松雄さんは、「 不思議ではないですよ。たまたま、風上だっただけです 」と、あっさり答えた。意外に淡泊で夢のない方である…。私の個人的な意見ではあるが、こんなに近いのに延焼しないなんて、不思議じゃないですか?


船山家には、ある巻物が伝承されていて、その巻物に幸霊神社の由来が書かれていると思われるのだが、何が書かれているのか、まったく不明だという。今から約五十年前、松雄さんの同級生の安藤重雄さんが、この巻物を借りにきたことがあった。当時、東北大学の学生だった重雄さんは、この巻物を借りて、論文を書こうとしていたのだが、梵字のような外国語が書かれていて、とうとう解読できなかったという。この巻物は、現在、幸霊神社の中に奉納されている。上の写真の赤丸がそれ。かなり古い巻物なので、傷みが激しく、ご開帳などはしていない。この巻物は、船山家が火災で全焼したときも、焼け跡から無傷で発見されたという不思議な巻物である。因みに、昔は、幸霊神社の御縁日を九月二十八日にやっていたのだが、現在は、十月の第四日曜日にやっているとのことである。


平成 21 年 8 月 2 日 ( 日 ) 掲載
令和 5 年 8 月 29 日 ( 火 ) 改訂


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