伝承之蔵

皮張石
丸森町/大張川張/一ノ畑

   昔、この里に、里中を荒らしまわっていた大きな熊がいたので、里人たちは、たいへん困っていた。そこで、 小野篁 が、 万二万三郎 という兄弟に、この熊の駆除を命令したところ、万二・万三郎は、見事に熊を駆除し、この熊の皮を剥いで、ある大きな石に張って干した。そのため、いつしか、里人たちは、この石のことを、“ 皮張石 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 丸森町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

この皮張石は、 川張 という地名の由来になった石である。上の写真の山の中に皮張石があるのだが、この近くに住んでいる古老に聞いたところ、「 私の足で、皮張石まで1時間かかったから、あんたの足だと30分ぐらいかな 」とのことであった。しかも、困ったことに、現在、この山には誰も入らないので、皮張石までの道はない。そのため、「 皮張石は、この山の頂上あたりにある 」という情報だけで、皮張石を探すことになった。いかに古老といっても、山に慣れている人間である。素人の私が勝てるはずがない。私は、片道1時間30分ぐらいはかかるだろうと計算して山に入った。因みに、上の写真の赤丸は、片倉トンネル。


山に入ってから分かったのだが、私の計算は、かなり甘かった。視界を遮っている目の前の雑草を切りながら進むと、信じられない景色がひろがっていた。


泥濘るんだ 土と、傾斜角が六十度はあろうかと思われる坂である。そして、完全に山の中に入って杉が視界を遮っているため、今、自分がいる場所が分からない。そのため、とにかく、坂を上って頂上を目指すことにした。


まず、私は考えた。短時間だが危険が多い道と、時間はかかるが比較的に安全な道の、どちらを選択するべきか? 私は、後者を選択した。その理由は、以下の二つである。もし、一人で山に入っている私が怪我をした場合、助けを求めることができないこと。そして、熊・猪・蛇・蜂などを警戒しながら進まなければならないこと。


道なき道を進んでいく途中、私は多くのことを学んだ。絶対に安全だと思って足をかけた切り株が腐食していて、まったく役に立たなかったこと。頼りなさそうな細い蔓が、意外に強く地面や木に巻きついていて、すごく頼りになること。蚊に刺されて、どんなに痒くても、イライラせずに冷静にならなくてはならないこと。これらのことは、人生においても、かなり大切なことのように思われる。


ん〜 、暗い…。恐い…。ゴロゴロ転がっている石が、自分の墓石のように見えてくる。そして、その石にある傷も、熊が引っかいた痕のように見えてくる。


今、どこに自分がいるのか、正確な位置は分からなかったし、皮張石まで行けるのかも分からなかったが、いろいろ考えながら進んでいると、けっこう楽しかった。


しばらくすると、大きな石が見えてきた。



赤丸が、皮張石。



これが、皮張石。かなり大きい。私の身長は、173センチなのだが、その四倍はありそうな石である。



石の裏にまわってみると、小さな祠が建っていた。どうも、私が裏だと思っていた方が、正面のようである。



これが、皮張石の全体図。どのくらい土に埋まっているのかは分からないが、土に埋まっているおかげで、皮張石の上まで歩いて行くことができる。


皮張石の上部に、平らな部分がある。上の写真がそれ。もしかしたら、この場所で、当時の里人たちが、熊や猪をさばいたり、皮を干したりしたのかもしれない。


皮張石を正面から撮影してみた。ん? なんか…、霧がかかってる。何で突然…。



近くにあった茸を撮影してみると、しっかり撮れていた。そこで、もう一回、皮張石を撮影してみると…。



☆ ○ ! ◇ ? □ ☆ 。何で? 霧なんか、かかってないのに!



もう一回、近くの木にあった茸を撮影してみると、普通に撮れた。しかし、皮張石を撮影してみると…。



恐!



恐くなったので、逃げるように山を下りた。どこをどのように通ったのかは、よく覚えていない。どうも、皮張石は、正面から写真を撮られるのが嫌いなようである。


因みに、往復で4時間もかかり、その後、二日間、筋肉痛で苦しむことになった。



赤い矢印の部分には、木がない。もしかしたら、皮張石や他の大きな石があるために、木がないのかもしれない。結局、皮張石がある正確な位置は分からなかった。やれやれ…。ひどい目に遭った…。


平成 21 年 8 月 2 日 ( 日 ) 掲載
令和 5 年 9 月 3 日 ( 日 ) 改訂


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