伝承之蔵

福浦島の貉と隠居
松島町/松島/仙随

   昔、この里にあった 福浦島 という島に 毒龍庵 という庵があり、その庵で、ある僧が修行していたのだが、ちょうど、そのころ、福浦島には多くの が棲んでいて、頻繁に庵に遊びにきては、この僧を困らせていた。特に、福浦島で最も歳をとった貉は、毎晩のように庵にきて、「 隠居はいるか?隠居はいるか? 」と叫ぶので、とうとう、この僧も激怒し、ある日、この貉を懲らしめてやろうとして、どんどん炉に火を焚いて貉を待っていた。

   すると、ある夜、いつものように、「 隠居はいるか?隠居はいるか? 」と貉が叫んだので、その僧が、「 寒いから、中に入って火にあたれ 」と言うと、その貉は、戸をガラガラと開けて入ってきて、僧と向き合って火にあたった。しばらくすると、暖かくて気持ちよくなったのか、その貉が、少しだけ ケッポ を出したままウトウトしていたので、その僧は、「 貉のケッポは大きいらしいから、どれほど大きいか確かめてやろう 」と思い、炉の中にあった焼け石を火箸ではさんで、その貉のケッポに投げつけたところ、その貉のケッポは、投げつけられた焼け石を、そのまま包んでしまった。驚いた貉が、泣きながら庵の外に逃げていく様子を見た僧は、「 はっはっは!ざまあみろ! 」と叫んで喜んだのだが、翌朝、無性に、「 ちょっと、やり過ぎたかな… 」と気になったので、その貉を探したところ、残念なことに、その貉は、浜辺で死んでいたという。

参考 『 松島町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、福浦島。赤い矢印の橋を渡って行く。



この橋を渡る。因みに、この橋を渡るのは有料。この日、私は、そのことを知らずに、料金を払わずに橋を渡ってしまった。福浦島の取材が終わってから、売店で御土産を買おうとしたところ、売店の店員さんから、「 あのう…、橋を渡るのは有料なのですが…。 (-_-)ゞ゛ポリポリ 」と言われたので、「 あっ、すいませんでした。知らなかったもので。橋を渡るときに言っていただければ良かったのに。 (^-^ )ニコッ 」と答えたところ、「 いろいろな資料を持っておられたので、漁協関係者の方だと思いまして…。 (o_ _)o パタッ 」と言われてしまった。いつも伝承の資料を持ち歩いているので、専門家と思われたらしい。


これは、福浦島にある弁天堂。赤い矢印が、毒龍庵記碑。



これが、毒龍庵記碑。1637年頃に 瑞巌寺 の100世である 洞水禅師 が開いた毒龍庵の歴史が記されている。1734年に瑞巌寺の105世である 天嶺禅師 によって記された。


これは、塩竈松島絵図。 ウェブサイト 「 東園禅寺 」 より画像を引用させていただきました。



これは、塩竈松島絵図に描かれた福浦島。赤丸が、毒龍庵。塩竈松島絵図は、描かれている 塩竈神社 の社殿の様式から、 元禄 八年( 一六九五 )までに描かれたと推量されているらしい。因みに、前述の弁天堂は、昭和10年代に 磯崎 から福浦島に移されたものなので、この図に描かれている弁財天とは別のものである。


平成 19 年 12 月 5 日 ( 水 ) 掲載
令和 5 年 11 月 15 日 ( 水 ) 改訂


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