伝承之蔵

政宗と闇米商人
松島町/磯崎/磯崎

   昔、 伊達政宗 が、 金華山 で狩りをしたことがあったのだが、金華山という聖なる地域で狩りをしたため、神の怒りにふれたのであろうか、政宗は、狩りの途中で家来たちと離れ離れになってしまった。政宗が、道に迷いながらも、やっとのことで浜辺につき、「 さてと、どうしようか… 」と思案していると、偶然、沖を通っている船を発見したので、「 お〜い!助けてくれ〜! 」と叫んで助けを求めた。すると、助けを求められた船の乗組員が、「 何だ?何があったんだ 」と思いながら、船を浜辺に近づけてみると、立派な服装の武士が立っていたので、乗組員たちは、「 まずいぞ。この船は、 磯崎 で闇米を積んで気仙沼に売りに行く船だ。あいつを助けたら、あの武士が、役人に通報するかもしれない 」と思い、政宗の救助を 躊躇 していると、政宗が、「 私は、仙台藩主の伊達政宗だ!道に迷って困っている。私を無事に家来のところに連れていってくれれば、おまえたちが望むものを何でも褒美にやる! 」と叫んだので、乗組員たちは、政宗を船に乗せて安全な場所まで送り届けた後、政宗に、「 百間 が見通せる土地をください。そして、私たちの闇米の輸送を黙認してください 」と嘆願した。すると、政宗は、「 おまえたちの望みを叶えよう。磯崎に百間が見通せる土地を与える。また、闇米も黙認してやる 」と言って、約束を守ったという。

参考 『 松島町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝承の船の責任者は、磯崎に百間を見通せるほどの広大な土地を政宗から拝領し、その後、 丹野越中守鉄五郎義清 と名乗った。松島町誌には、「 それから丹野越中守鉄五郎義清と名乗るようになった。故人となった 丹野平八 宅はその子孫であると。そのときの墨付は近ごろまで残っていたが今はなく、素焼のちょうしだけが今も同家にある 」とある。この記述の内容を確認するため、故・丹野平八さんの子孫の方に聞いたところ、「 昔、この里の区長と県の職員が一緒に、『 あの伝承の墨付けを、貸してください 』と頼みに来たので、そのときに貸しました。その後、どうなったかは知りません。特に、こちらから返してくれとも言わなかったので… 」とのことであった。その区長さんの子孫の方の蔵で、その墨付けが発見されたという噂もあるのだが、あくまでも噂であり、墨付けの存在の確認はできなかった。因みに、松島町誌に記述されている素焼のちょうしに関しては、すでに紛失していて、現在、丹野家にはなかった。


平成 19 年 12 月 15 日 ( 土 ) 掲載
令和 5 年 11 月 25 日 ( 土 ) 改訂


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