伝承之蔵

西行戻しの松 1
松島町/松島/犬田

   昔、 西行 が、京の都から 松島 に向かって旅をしている途中、 長老坂 にあった大きな松の下で、休憩したことがあった。ちょうど、そのとき、多くの牛を連れた牧童がやってきて、その牛たちに草を食べさせはじめたのだが、しばらくして、一心不乱に草を食べ続けている牛の姿を見た牧童は、「 いつまでも、阿漕に食うものではないぞ! 」と言って、牛に注意を促した。この言葉を聞いた西行は、たいへん驚き、その牧童を見つめたまま、しばらくの間、じっと、その場所に立ちつくした。西行が北面の武士だったころ、 堀川の局 という女性に恋をして、毎日のように、堀川の局の屋敷に通っていたのだが、ある日、堀川の局に、「 あなたは、“ 阿漕 ”な方ですね 」と注意を受けたにもかかわらず、西行には、その言葉の意味がわからなかった。その後、西行は、この失恋によって世の無常を悟り、北面の武士をやめて出家することになるのだが、その原因となった阿漕という言葉を、その十二〜十三歳の牧童は、当然のようにつかっていた。

   長い間、疑問に思っていた言葉の意味を知る機会がおとずれた西行が、その牧童に、「 私は、西行という者だが、今、あなたが言った阿漕という言葉は、どのような意味なのですか? 」と聞いたところ、その牧童は、しばらくの間、西行の顔を、じっと見つめて、「 西行さんは、日本の代表的な歌人だと聞いていたけど、こんな簡単なことも知らないとはね 」と言って牛の背にまたがると、「 伊勢の海 阿漕が浦に ひく綱も たびかさなれば 人もこそ知れ( 伊勢神宮の専用漁場である 阿漕ヶ浦 という禁漁区で、何度も何度も密漁をすれば、そのうち人に知れわたることでしょう ) 」と、古歌を詠いながら、長老坂を下っていった。

   このとき、西行は、堀川の局が、「 あなたが、毎日、私の屋敷に通ってきたら、そのうち噂になるでしょうね。その前に、やめてください 」という意味で 阿漕 という言葉をつかったことに気づき、自分が優秀な歌人だと思い上がっていたことを深く恥じた。そして、もう一度、歌の修行をしようと決意し、長老坂から松島には向かわずに、休憩していた松の木から京の都に向かって帰ったので、いつしか、里人たちは、この松のことを、“ 西行戻しの松 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 利府町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、長老坂。



長老坂の近くに、西行戻しの松公園という公園があり、そこに、西行戻しの松がある。



案内にしたがって行く。



これが、西行戻しの松。



柵があるので、すぐに分かる。



これは、近くにあった説明文。



これは、西行戻しの松公園からの風景。利府町誌には、「 その時の牧童こそは松島寺の天才児宮千代であったという説もあり、又牧童に化身した松島明神の翁であったという説もある 」とある。


平成 19 年 12 月 17 日 ( 月 ) 掲載
令和 5 年 11 月 26 日 ( 日 ) 改訂


地図