伝承之蔵

歌津の河童 1
南三陸町/歌津

   昔、 歌津 に棲んでいる河童は、人間が水遊びをしていると、その人間を淵の底に沈めて溺死させ、尻の穴から細い手を入れて肝を取り出し、美味しそうに食べていたのだが、歌津の河童が、人間の肝を食べるのには二つの理由があった。一つ目は、好物だから。そして、二つ目は、より多くの人間の肝を食べると、河童が人間になれるからであり、同じ人間の肝でも、 紫肝 という肝の色の濃いものが最高級とされていたという。

参考 『 歌津町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

河童には、さまざまな種類があり、堤に棲んでいる河童は“ 堤河童 ”、沼に棲んでいる河童は“ 沼河童 ”、川に棲んでいる河童は“ 川河童 ”と呼ばれていた。昔、歌津には、 中在 の内の沢( =うちのさわ=現在、内の沢は正式な地名ではなく、地区名として残っている )に沼河童が、 上沢 の新屋裏( =にいやうら=新屋は屋号であり、新屋裏は、「新屋という屋敷の裏」という意味 )に川河童が、 西光寺 の近くを流れる 伊里前川天山淵 に川河童が棲んでおり、これらの河童たちの元締めが、小泉大橋の袂に棲んでいた川河童であったという。


ここが、中在の内の沢。残念なことに、この伝承の沼は現存していない。



ここが、上沢の新屋裏。古老の話によると、「 治水工事のため、だいぶ、昔とは川の流れる場所が違っています 」とのこと。因みに、上の写真の川は、伊里前川。


これは、西光寺の入口。



これは、西光寺の本堂。



これが、西光寺の近くを流れる伊里前川にある天山淵。西光寺の住職の話によると、「 現在は、治水技術の発達のおかげで誰も溺死しなくなりましたが、昔は、たくさんの子供たちが溺死しました 」とのこと。残念なことに、西光寺の住職の弟さんも、この淵で溺死したという。


これが、小泉大橋。



平成 22 年 9 月 2 日 ( 木 ) 掲載
令和 6 年 2 月 14 日 ( 水 ) 改訂


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