伝承之蔵

十三仏峠
南三陸町/歌津/小沼

   鎌倉時代の初期、この里を未曾有の暴風雨が襲ったとき、ある巨大な外国船が、この里の入江に漂流してきた。里人たちは、この外国船をなんとかして助けようとしたのだが、激しい暴風雨のためどうすることもできず、とうとう、その外国船は沈没してしまった。翌日、昨日の暴風雨が嘘のように晴れたので、里人たちが入江にいってみたところ、入江の入口が暴風雨によって打ち寄せられた砂で埋まっており、湾から沼に変わってしまっていた。そして、その沼のあちらこちらに、その外国船の乗組員と思われる十三人の遺体が浮かんでいたので、これを哀れに思った里人たちは、その外国人の遺体を、ある峠に埋葬して懇ろに弔った。そのため、いつしか、里人たちは、この峠のことを、“ 十三仏峠 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 歌津町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝承の沼は、 昭和 四十年代に干拓され、現在は田になっている。上の写真がそれ。この沼を干拓していた時、しばしば、この外国船が積んでいた瀬戸焼などが発掘されたという。


十三人の遺体の中の一人は、その服装などから、すぐに、その外国船のリーダーだと分かった。そのため、リーダーには一つの塚を、他の乗組員には二人ずつ六つの塚を築いて埋葬した。上の写真の赤い矢印が、七つの塚が築かれた十三仏峠。生活の歓 志津川町誌Uには、「 隣町歌津町の稲渕より馬場へ至る道の小沼の丘の上にも七基( 現在は一基残るだけ )の塚が並び『 十三ボトケ 』と呼ばれ、遭難した十三人の水夫を埋めたと伝えられている 」とある。


残念ながら、現在、残りの一つの塚を特定することはできていないが、上の写真の赤い矢印の丘の中に残っている可能性が高い。


これは、十三仏峠からの風景。



平成 22 年 9 月 5 日 ( 日 ) 掲載
令和 6 年 2 月 14 日 ( 水 ) 改訂


地図