練牛の由来 |
美里町/練牛 |
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昔、 源満仲 が陸奥を視察したとき、里人たちは、疫病の流行により、たいへん苦しんでいた。そのため、心を痛めた満仲は、陸奥の各地に薬師神社を建てて、里人たちの健康を祈願したのだが、この里に建てられた薬師神社は、 永延 二年( 子の年 )に工事を始め、翌年の 永祚 元年( 丑の年 )に完成したものであった。そのため、里人たちは、この薬師神社を、“ 子と丑の年に完成した薬師様 ”と呼んでいたのだが、いつしか、里人たちは、この子と丑の年に完成した薬師様のことを、“ 子丑の里の薬師様 ”と呼ぶようになった。その子丑の里の薬師様が、後に、 “ ねうし ”となり、さらに、“ 練牛=ねりうし ”になったという。
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