伝承之蔵

蔵人石
美里町/和多田沼/上屋敷

   寛永 十六年、第三代の涌谷城主である 伊達定宗 の息子、 伊達宗実 が亡くなったため、 継嗣 に関して、重臣たちの会議が開かれた。その会議では、宗実の弟である 伊達宗重 を継嗣とすることが決定したのだが、 結城蔵人 という重臣だけは、「 宗重は気性が荒々しいので、涌谷城主の器ではない! 」と、断固として反対した。その後、宗重が第四代の涌谷城主になると、ことあるごとに、蔵人が宗重に反抗するようになったので、宗重は、「 改心させるため、しばらくの間、蔵人を座敷牢に入れよ! 」と、家来に命令した。 数十日後、宗重は、「 改心しているようであれば、そろそろ、蔵人を許してやろう 」と思い、蔵人の座敷牢を訪ねたのだが、宗重が、「 蔵人よ、どうだ? 」と声をかけたにもかかわらず、蔵人は、「 『 どうだ? 』だと!どんなものだか、おまえも牢に入ってみればわかる! 」と、改心のかけらもなかったので、さすがの宗重も激怒し、ただちに、蔵人を槍で突き殺した。その後、蔵人の屋敷の門前にある大きな石に蔵人の霊がとりついて、次々に不思議な現象をおこすようになったので、いつしか、里人たちは、この石のことを、“ 蔵人石 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 南郷村誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

この蔵人石に関して、南郷村誌に、「 同家に行つて調査して見ると、そんな石は無いといふ 」という記述があったので、この記述の真偽を確かめるため、結城蔵人の子孫の方を訪ねたところ、結城家の古老が、「 ここには、そのような石はありません。しかし、当時、蔵人は、数ヶ所に土地を所有していて、その中の一つに、その石があったと聞いたことがあります。確か、 涌谷 から 小牛田 に向かう国道に、石原という会社が運営しているボーリング場があるのですが、その近くにあるそうです 」と教えてくれた。約18年前は、結局、分からないままだったが、現在は Google マップがあるので、すぐに分かった。上の写真は、ホームセンター“ おてんとさん 涌谷店 ”とファーマーズ マーケット“ あじわいの朝 涌谷店 ”。昔、この場所に、石原商事株式会社が運営する“ 涌谷ボウル ”というボーリング場があった。古老の話が正しければ、この辺りに蔵人石があるはずなのだが、現在は未確認である。


結城蔵人の子孫の方に、この伝承について話を聞いたところ、結城家の伝承では、「 宗重の重臣が、蔵人を中傷する 讒言 をしたため、宗重によって蔵人は座敷牢に蟄居させられ、さらに、牢の中でも満足な食事を与えられなかったため、蔵人は、かなり衰弱した状態になった。宗重は、無残にも、そんな衰弱した状態の蔵人を槍で突き殺したのだ 」となっていた。また、涌谷には、 見龍寺 という寺と 龍渕寺 という寺があるのだが、涌谷伊達家では、有力な家来は見龍寺に埋葬し、それ以外の家来は龍渕寺に埋葬していた。どういう経緯かは不明なのだが、最初、見龍寺に埋葬されていた蔵人が、その後、龍渕寺に移されている。これらのことから推量すると、涌谷伊達家と結城家との間には、確執があったようである。約18年前に私が結城家を訪ねた時、結城家の古老が、「 いつも、祖母から、『 涌谷伊達家の館跡で催されている“ わくや桜まつり ”なんかに、決して出席してはならない 』と言われていた。結城家が、わくや桜まつりに行くようになったのは、最近のことだよ 」という話を聞かせてくれたことからも、長い間、深刻な確執があったことが分かる。


平成 18 年 12 月 30 日 ( 土 ) 掲載
令和 5 年 12 月 31 日 ( 日 ) 改訂


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