伝承之蔵

夕日長者
美里町/練牛

   昔、この里にある 名鰭沼 の東に朝日長者が、沼の西に夕日長者が住んでいたのだが、ある日、「 朝日長者で始まり、夕日長者で結ぶのは縁起が良い 」ということで、朝日長者の娘が、夕日長者の息子に嫁ぐことになった。結婚式の日、あまりにも花嫁の家財道具が多いので、船に積んで名鰭沼をわたることにしたところ、沼をわたって家財道具をおろすとき、突然、雨が降りはじめたので、夕日長者の息子は、「 花嫁が泥で汚れないように、屋敷までの道に米を敷きつめろ! 」と 家人 に命じ、米を敷きつめさせた。

   数日後、この夫婦が、朝日長者の屋敷に里帰りしたとき、夕日長者の息子は、たいそう自慢げに黄金のステッキを持ち、意気揚揚として朝日長者の屋敷を訪れたのだが、その日の夕方、夕日長者の息子が帰宅しようとしたところ、玄関に置いていたはずの黄金のステッキがなくなっていることに気づいた。夕日長者の息子が激怒し、朝日長者の家人に、「 おまえが、世にも珍しい黄金のステッキを盗んだんじゃないのか! 」と叫ぶと、朝日長者が平身低頭、「 すいませんでした。おそらく、家族の者が、まちがえて持っていったんでしょう。探しておきますので、これで許してください 」と言って、お詫びをし、蔵の中から数十本の黄金のステッキを持ってくると、「 さぁ、どのステッキでもどうぞ。そして、残りのステッキは、お土産としてさしあげます 」と言って、さらに、お詫びをしたので、さんざん威張り散らした夕日長者の息子は、何も言えずに、ただただ、呆然とするだけであったという。

参考 『 南郷村誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

夕日長者の屋敷は、上の図のあたりにあった。古老の話によると、「 約五十年前、夕日長者の屋敷は確かにありました。しかし、当時、すでに廃屋になっていましたよ。いつだったかなぁ…。ホームレスの方たちが、その廃屋で焚き火をして暖をとっていたんですが、その残り火から出火して廃屋が全焼してしまいました 」とのこと。


上の写真の赤い矢印のあたりが、夕日長者の屋敷跡。小雨の降る夜明けに、この近くを通ると、屋敷跡のどこかに埋められている黄金のチャボが鳴いているという。山ほどの財宝を蓄えていた夕日長者は、なぜ没落したのか?里人たちは、こう噂した。「 朝日長者の娘を迎えた雨の日、百姓が苦労して生産した米を道に敷きつめたり、自慢げに黄金のステッキを持ったりするような不心得をするからだ 」と。


この伝承の名鰭沼は、現存していない。三十〜三十五年前、基盤整備のために消滅してしまった。古老の話によると、「 水深は1メートルくらいで、最深部でも1.5〜2メートルくらいだった 」とのことなので、沼というよりも遊水池だったようである。その古老は、「 五年ほど前、夕日長者の屋敷跡から北に300メートルほど行った場所から、船に関する遺物が多く出土した 」とも証言しているので、この里の生活と名鰭沼は密接に関係していたのであろう。因みに、名鰭沼は、南郷・石巻・涌谷にまたがるくらい広い沼であった。


平成 19 年 1 月 3 日 ( 水 ) 掲載
令和 5 年 12 月 31 日 ( 日 ) 改訂


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