伝承之蔵

棺の中の死体は誰なのか?
美里町/練牛

   昔、この里には、 練牛四號圍 と呼ばれる地域があり、 明治 初期ごろは、 上寺下町 と呼ばれていた。明治三十五年、そのあたりの土地が整備され、立派な田になったのだが、土地を整備している途中、上寺から石畳の井戸が発見され、さらに、その近くから九つの朱塗りの棺が出土した。その棺の中には、黄金の煙管・黄金の念仏鐘・ 藤原道継 の名が刻まれた鏡・古銭などが入っていたのだが、不思議なことに、この黄金の煙管と念仏鐘は、棺の中から出された瞬間、真鍮に変わってしまったという。

参考 『 南郷村誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

現在、この伝承の煙管・念仏鐘・鏡の所在は、全て不明となっている。煙管と念仏鐘に関して、南郷村誌には、「 當時の工事受負者 金子豊治 氏が所持して居り… 」とあったので、故・金子豊治さんの子孫の方を訪ねたところ、「 ん〜、かなり昔の話なので、わかりませんねぇ… 」とのことであった。因みに、この伝承の古銭に関しては、当時の里人たちが、その古銭で御菓子と線香を買い、新たに棺の中の遺体を葬ったとのことなのだが、残念なことに、葬った場所に関しては不明である。


黄金の煙管と念仏鐘が、突然、真鍮に変わったときの状況について、南郷村誌には、「 『 死人水に浸つて居る中は何故眞鍮が黄金の如く燦然光澤を放つものでせうか。 』と不思議がつて居る 」とある。


平成 19 年 1 月 8 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 2 日 ( 火 ) 改訂