伝承之蔵

岩五郎の仇討ち 1
女川町/針浜

   昔、 白石岩次郎岩五郎 という役者の親子が住んでいた。 安政 元年二月、公演が終了した後、公演で疲れていた岩五郎は家に帰ったのだが、岩次郎は、夜中まで友人と酒を飲んで楽しんでいた。しかし、その帰り道、岩次郎は、 寅吉近松 という者たちと、ささいなことで口論となり、激しく格闘した後、無残にも殺されてしまった。父親の死を知らされた岩五郎は、すぐに二人を逮捕。白石藩の役人に事情を話して二人を藩に引き渡したのだが、死刑になるはずだった二人が恩赦になって減刑され、寅吉と近松は 江島 に流罪となった。岩五郎が、「 あの二人は、必ず、島から逃げるであろう。もし、反省もせずに島から逃げたら、私が父の仇討ちをする 」と心に決めていたところ、その三年後、岩五郎が思っていたとおり、二人は江島から逃げて 針浜 の山中に身を隠した。

   寅吉と近松が針浜の山中にいるという噂を聞いた岩五郎が、すぐに針浜に行って二人を待ち伏せしていたところ、空は黒い雲に覆われて激しい雨が降っている中、何も知らない二人が姿を現わした。そこで、岩五郎が、「 寅吉!近松!父の仇、覚悟しろ! 」と叫ぶと、岩五郎に向かって近松が投げた石が岩五郎の肩に命中。岩五郎も、持っていた棒で近松の頭を殴って反撃すると、近松は頭部から激しく血を流しながら倒れた。そのとき、寅吉が、背後から岩五郎に近づき、持っていた棒で岩五郎の腕を殴ると、岩五郎は刀を抜いて、まず、近くに倒れていた近松の喉を斬って殺害。それを見た寅吉は、恐怖を感じて逃げたのだが、藤蔓に足をとられて寅吉が転倒したので、岩五郎は、このチャンスを逃さず、刀で寅吉の喉を刺して殺害し、見事に父の仇を討ったという。

参考 『 女川町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

これは、この伝承に関連している場所の全体図。



これが、流罪になった寅吉と近松が送られた江島。



女川町誌によると、この仇討ちを仙台藩に報告したところ、藩は岩五郎に銭七貫を与えた上、白石の片倉家に命じて岩五郎を優遇させ、また、それとは別に、片倉家から岩五郎に米二口と銭三貫が与えられたとのこと。


七貫文が、現在の価値にしてどのくらいなのかが気になったので、「 お江戸の意外な『 モノ 』の値段 」を参考にして調べてみた。余談ではあるが、米二口に関しては、尺貫法には口という単位がないため、岩五郎が与えられた米の量は分からなかった。ただし、口が石の誤りであった場合は、米1石の重さが約150キロなので、2石で約300キロとなり、口が合の誤りであった場合は、米1合の重さが約150グラムなので、米2合で約300グラムとなる。


屋台の蕎麦に関して、「 明和安永 年間( 一七六四〜八〇 )以降は十六文に定着した 」との記述があるので、蕎麦をもとにして一文の価値を計算してみると、現在、かけそばの値段は380円くらいなので、380円=十六文となり、一文は、約24円となる。よって、千文は、約24000円となり、一貫=千文であるから、七貫文は、約170000円となる。同じ計算をすると、三貫文は、約70000円。


平成 21 年 7 月 12 日 ( 日 ) 掲載
令和 6 年 1 月 26 日 ( 金 ) 改訂