伝承之蔵

岩五郎の仇討ち 2
女川町/針浜

   江戸時代 の末期、この里に住んでいた阿部家の屋敷に、 岩五郎 という者が訪ねてきて、「 江島 に行きたいのですが、どのようにして行けば、よろしいでしょうか? 」と尋ねられたので、阿部家の家人が、「 どうして、あんな離島に行くんですか? 」と、その理由を聞いたところ、岩五郎は、「 私は、父親の を捜す旅をしているのですが、その仇が江島にいるという噂があるので、どうしても江島に行って確かめたいのです 」と答えた。岩五郎の話に同情した阿部家の者たちは、「 あなたが、何も知らない離島に行くよりは、その仇を 針浜 に誘いだした方がいいと思います。私たち阿部家が、あなたの力になりましょう 」と助言し、岩五郎の仇討ちに協力することになった。

   阿部家は、すぐに家人を江島に派遣し、その仇が江島にいることを確認すると、その仇に、「 岩五郎が、おまえのことを捜しまわってるぞ。もうすぐ、この島に来るらしいから、この島を離れて針浜あたりに逃げた方がいい。おれが案内してやろう 」と言って、その仇を、巧みに針浜へ誘導した。そして、数日後、言われるままに針浜まで逃げてきた仇は、岩五郎と、岩五郎に同情した針浜の里人たちが自分を待ち伏せしていたことを知ることになった。岩五郎が、「 父の仇!覚悟しろ! 」と叫んで刀を抜くと、その仇も、岩五郎に向かって石を投げて応戦したので、針浜の里人たちも岩五郎のために、その仇に向かって石を投げつけた。すると、「 いかん!このままでは負ける! 」と思った仇は一目散に逃げだし、岩五郎は、その仇を必死に追いかけ、なんとか追いつくと、背中から斬りつけて殺害し、見事に父親の仇の首を討ち取ったという。

参考 『 女川町誌 続編 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真は、江島の全景。



この伝承は、明治維新まで、代々、針浜の 肝入り を務めた阿部家に伝わっている実話である。女川町誌 続編によると、阿部家の当主である 阿部礼治 さんが幼かったころ、祖母から、「 私が十四歳の時に、実際にあった話なんだよ 」と、何度も聞かされたという。因みに、阿部家には、岩五郎が御礼に残したとされる刀があったのだが、太平洋戦争後、進駐軍に没収され、現在、その所在は不明になっている。


この伝承の仇の遺体は、針浜の里人たちによって葬られ、その上に、名前も何も刻まれていない自然石を墓石がわりに置いたという。 昭和 三十年代までは、「 確かに、そこにあったよ 」と証言する里人も多かったようであるが、墓石が地面に埋もれてしまったのであろうか、現在、その場所を特定することはできない。


平成 21 年 7 月 12 日 ( 日 ) 掲載
令和 6 年 1 月 26 日 ( 金 ) 改訂