伝承之蔵

小袖沼
大河原町/大谷/上谷前

   昔、この里に、大きな沼があった。ある日、この沼のほとりに、ある高貴な姫が来て、粗末な家を建てて住み始めたので、里人たちは、 「 あんなに美しい姫は見たことがない。いったい、どこから来たんだ ? 」 、 「 身分の高い姫が、世を忍んでいるようだが、京の都の姫かな ? 」 などと噂した。そのため、里の女性たちが、真相を確かめようとして、その姫に声をかけてみたのだが、姫は、ただ笑顔を見せるだけで、何も話そうとはしなかった。

   ある日、その姫の家に、立派な身なりをした若い武士が訪ねてきた。その後、夕方になると、毎日、その武士は、姫の家を訪ねてくるようになったのだが、それまで健康であった姫の体が急に痩せ衰え、顔色も青ざめて、見るのも気の毒な姿になっていったので、里人たちは、 「 あの若い武士は、姫にとりついて精気を吸い取っているのでは … 」 と不審を抱いた。

   そこで、里の若者たちが、その武士の正体を確かめようと、ある日の夕方、姫の家の近くで、その武士が訪ねてくるのを待っていると、その武士は音もなく現われ、姫の家の中に消えていった。若者たちは、 「 おい ! 消えたぞ ! それに、あのあたりは道がないはずだ。どうやって、ここまで来たんだ ? 」 などと話しながら、そっと、柱と障子の隙間から部屋の中を覗いてみたのだが、武士と姫は、 屏風 を背にして座っているだけで、少しも動かなかった。

   ちょうどそのとき、一人の若者が、オナラを我慢しきれず、 「 プゥ 〜 ! 」 とやらかした。その臭いを鼻にくらった者が、 「 くせぇ 〜 ! 」 と言って、オナラをした者の尻をつねったところ、今度は、つねられた者が、 「 痛ぇ 〜 ! 」 と叫んで暴れたため、障子が部屋の方向に倒れてしまった。覗かれていることを知った武士は、ものすごい形相で若者たちを睨み、「見たな ! 人間ども ! 俺は、千年もの間、ここに棲んでいる沼の主だ ! 今、この姫に想いをよせて、つかの間の夢を楽しんでいたのに邪魔をしやがって ! この場を見られたからには、生かしては帰さぬ ! 」 と叫んで、ブルブルと体を震わせた瞬間、たいへん恐ろしい大蛇に変身した。

   驚き恐れた若者たちは、一目散に逃げ出したのだが、大蛇は、恐ろしい眼光で若者たちを睨みつけ、口からペロペロと炎のような舌を出しながら追ってきた。しばらく追いかけた後、若者たちを見失った大蛇は、気を失っている姫の体を太い胴でしっかりと巻き上げ、沼の底に沈んでいった。若者たちは、大蛇からは逃げきれたものの、その後、三日三晩、高熱にうなされて生死の境を彷徨い続けた。

   その数ヶ月後、ある里人が沼に行ったとき、姫が着ていた綺麗な赤い花模様の小袖が水面に浮いているのを発見した。その話を聞いた里人たちは、 「 可哀想に … 。沼に大蛇が棲んでいて舟を出せないから、小袖を取ってくることもできない … 」 と呟き、姫の霊を供養するため、沼のほとりに立派な墓を建てて弔った。すると不思議なことに、赤い小袖は沼の底に沈んでいき、二度と水面に浮かんでくることはなかった。そのため、いつしか、里人たちは、この沼のことを、 “ 小袖沼 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 大河原のざっとむかし 〜 大河原の民話と伝説 〜 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝説に関しては、この里にある宝泉寺の住職から多くの貴重な情報をいただきました。住職は、腰の痛みに堪えながら、熱心に里の歴史を私に教えてくれました。本当に、ありがとうございました。上の写真は、宝泉寺の入口。


これが、宝泉寺の山門と本堂。



残念ながら、小袖沼は現存していない。宝泉寺の住職の話によると、この里にある特別養護老人ホーム桜寿苑の裏あたりに小袖沼があったという。上の写真の赤い矢印の山の前あたり。


上の写真は、昭和四十八年に完成した上谷前団地。宝泉寺の住職の話によると、 「 この団地ができた頃には、もう沼は無かったよ。私の憶測だが、明治時代には無くなっていたんじゃないかなぁ … 」 とのことであった。


この里には、 “ 梅ヶ枝 ” という名字が残っているのだが、宝泉寺の住職の話によると、この名字は、平家の落人のものだという。昔、小袖沼があった場所には平家の落人が住んでいて、その豊富な水によって 泥濘んだ 土を利用して田圃を作り、その米を食べて生活していた。因みに、梅ヶ枝というのは、現在でも、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種である。このことが、この里に平家の落人が住んでいたという一つの根拠になっている。上の写真は、餅菓子の梅ヶ枝。 ウェブサイト「楽天市場」より画像を引用させていただきました。


昔から、この里に湧いていた豊富な水は、白石川に合流していた。宝泉寺の住職の話によると、 “ 大河原 ” という地名は、近くを流れる白石川と様々な川が合流することから、 “ 大川原 ” とも “ 合河原 ” とも表記されるという。因みに、小袖沼があったあたりからは、現在でも少量の水が湧いている為、しばしば、その水分で道路が陥没するという。


宝泉寺の住職の話によると、 「 昔から、この里には多くの蝮が生息していたので、里人たちの蝮に対する恐怖心が、この伝説を生んだのではないだろうか 」 とのことであった。 ウェブサイト 「 京丹波町里山日記〜地球のかけら〜 」 より画像を引用させていただきました。


平成 25 年 11 月 27 日 ( 水 ) 掲載


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