伝承之蔵

照井太郎の馬が残した感謝の気持ち
大河原町/小山田/清水
大河原町/小山田/六角

   文治五年、奥州征伐で源頼朝が藤原氏を攻めたとき、藤原軍の武士である 照井太郎 は、勇敢に頼朝軍と戦ったのだが、圧倒的な兵力の前に力尽き、ついに、討ち死にした。太郎が討ち死にした日の夕方、この里に、体中に矢が突き刺さった馬が、どこからともなく現われ、そのままバッタリと倒れた。里人たちは、 「 こんな立派な鞍や手綱がついているということは、照井様の馬ではないか ? 」 と噂し、矢を抜いてから、優しく体をさすってやった。

   すると、その馬は、最後の力をふりしぼって立ち上がり、苦しそうに歩きだした。 不思議に思った里人たちが、馬の後をついていくと、ある場所で、その馬は、何度も何度も地面を踏み始めたので、里人たちが地面を見てみると、馬の足跡から清水がコンコンと湧き出してきた。 そして、さらに、ある畑までヨロヨロと歩いていき、 「 ヒヒ〜ン ! 」 と、一声、高く鳴くと、その場に倒れて死んでしまった。哀れに思った里人たちは、清水を与えてくれた馬を丁寧に葬り、塚を築いて弔ったという。

参考 『 大河原のざっとむかし 〜 大河原の民話と伝説 〜 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝説の清水は、この里で最も良質な水として大切に使われ、そのまま地名としても残った。また、この清水の湧いている場所は、この里に住んでいる 丸山孝雄 さんの所有地にあるので、丸山家の屋号は、現在でも、 “ 清水屋敷 ” である。上の写真が、この伝説の清水が湧いていた場所。現在は、ほとんど水が湧いていない。昔、丸山家が造り酒屋を営んでいた時、ここに井戸を作って清水を利用していた。当時は、里人たちから、 “ 清水井戸 ” と呼ばれていたという。丸山家の方の話によると、 「 この井戸の近くに、馬の蹄の跡がある石があったんだが、どこだったかなぁ … 」 とのこと。


赤丸が、この伝説の馬が死んだ場所。現在でも塚になっている。残念ながら、昔、建てたという碑はなくなっていた。



…と思ったら、残っていた!でも、なぜか倒れている … 。



古老の話によると、 「 平成23年3月11日の東日本大震災で倒れてしまった … 。その後、あのままだ … 」 とのこと。


完全に倒れてる … 。



何とか立てようとしたのだが、重くてピクリとも動かなかった。しかたがないので、そのまま放置 … 。因みに、上の写真に映っている山の麓に清水井戸がある。


平成 27 年 2 月 19 日 ( 木 ) 掲載


地図