伝承之蔵

小山の狐塚
大郷町/鶉崎/狐塚

   昔、この里にある小さな山に、子供のいない年老いた白い狐が棲んでいた。ある日、その狐が居眠りをしていると、 「 俺は、天から捨てられたんだ ! 」 と大きな声がしたので、声のする方に行ってみると、捨てられた赤ん坊が泣いていた。狐は、 「 俺には子供がいないから、神様が授けてくれた ! 」 と喜び、昔、この小山に住んでいた 小次郎 という力持ちの男に因み、小次郎と命名して大切に育てた。

   ある日、狐は、成人した小次郎を呼んで、 「 お前も立派な男になったのだから、もう、この小山にいてはいけない。それが、狐の世界の掟なのだ 」 と話し、その日の夜、小次郎を京の都に旅立たせることにした。 丑三つ時 には、多くの狐たちが集まって提灯を灯し、小次郎を先頭にした長い行列が続くようになっていた。そして、ある場所までくると、狐は、 「 ここで、お別れだ … 。京の都では一生懸命に修業して偉くなるんだぞ。偉くならないうちは、小山に帰ってくることは許さない。では、元気でな … 」 と言って、小次郎の姿が見えなくなるまで、涙ながらに見送った。

   京の都に着いた小次郎は、めきめき頭角を現わし、あっという間に出世して天皇から将軍の位を授かると、多くの家来を従え、たくさんの財宝を馬に積んで小山に帰ってきた。その様子を小山の上から見ていた狐は、たいそう喜び、立派になって帰ってきた小次郎の姿を見て安心したのか、その場に倒れて死んでしまった。すぐに駆けつけた小次郎は、 「 お父さん ! お父さん ! 」 と叫びながら、いつまでも泣き崩れていた。その後、小次郎は、この小山に塚を作り、京の都から持ってきた財宝と一緒に狐を手厚く葬ると、 “ 小山の狐塚 ” と命名して懇ろに弔ったという。

参考 『 おおさと 昔かだり 』
現地で採集した情報


現地レポート

残念ながら、現在、この小山の狐塚は現存していない。狐塚という地名が残っているのみである。



上の図の矢印は、古老Aの屋敷である。現在、この古老Aの息子さんは六十歳なのだが、古老Aは、 「 私の息子が赤ん坊の時、お湯を沸かす為に狐塚があった雑木林から枝などを拾ってきて燃やしていた 」 と証言している。つまり、六十年前までは、狐塚は存在していたということである。さらに、古老Aは、 「 狐塚には小さな祠があったんだけど、あの祠は、どこにいったのかねぇ … 」 とも証言している。


現在、七十五歳の古老Bは、 「 私が十九歳で嫁に来た時、すでに狐塚は無かったよ 」 と証言している。つまり、五十七年前には、狐塚は存在していなかったということである。古老Aと古老Bの証言が正しいと仮定すれば、1956〜1959年の間に狐塚が消滅したと推量できる。因みに、現在、狐塚は飼料畑になっている。


これが、その飼料畑。この辺りに塚があり、その塚の上に狐を祀った祠があった。古老Cの証言によると、昔、この里には多くの狐が生息していて、その狐たちが農作物を荒らしたので、困った里人たちは、その狐たちを次々に殺して、この場所に埋めた。その後、狐たちの供養の為にできたのが狐塚である。古老Cは、現在でも、頻繁に狐の幽霊をみるとも証言している。生活の為の苦渋の決断であったとは思うが、多くの狐たちを殺してしまったことは、里人たちの心の中に深い傷を残しているのかもしれない。


今回、親切な古老Dが何人もの古老を紹介してくれたので、貴重な話を聞くことができた。私が帰る時、古老Dが、 「 渋柿だけど、持っていきなさい 」 と言って柿をくれたのだが、2 〜 3個だと思っていたら、次々と近くの柿の木から取ってきて … 。


こんなにもらってしまった … 。そこで、渋抜きの方法をネットで調べたところ、焼酎につけるのが良いとの意見が多かった。


すぐに、焼酎を買いに酒屋に行ってみると、 “ 渋抜き職人 ” という専用の焼酎が売っていた。



さっそく家に帰って焼酎に渋柿をつけてみる。



器に焼酎を入れて … 。



柿の蔕 ( へた ) の部分を焼酎につける。渋抜きをしてみて初めて、 “ 蔕 ” という漢字があることを知った。たぶん、一生、覚えられないと思うが … 。


これで完成 ! しかし、こんな簡単な方法で本当に渋抜きができるのだろうか … 。



5日後、本当に渋が抜けていた。美味い ! 「 渋柿をもらってきた 」 と言った時は、 「 こんなにもらってきて、どうすんのよ ! 」 と怒っていた母が、 「 美味しいねぇ 〜 、この柿は。仙台に来て良かった ♪ 」 と言いながら、次々と柿を食べ、あっという間に無くなってしまった。


平成 27 年 12 月 8 日 ( 火 ) 掲載


地図