伝承之蔵

びっきの湯
大郷町/大松沢/宮田

   昔、この里に、戦争で深い傷を負った一人の武士が逃げてきたことがあった。このとき、その武士は、ある老夫婦に助けられ、その屋敷で静養させてもらったのだが、ある日、 「 もう俺の命は助からないだろう … 。最後に体を清めてから死にたいものだ 」 と思った武士は、杖をつきながら屋敷の裏にある小川に行った。すると、 びっき が、二匹、四匹、八匹と武士の周りに集まり始め、その中の一匹が、まるで、 「 おいっ ! こっちに来いよ ! 」 とでも言っているかのように、ケロケロと鳴きながら、武士の周りでピョンピョンと飛び跳ね始めた。

   武士が、その びっき についていくと、コンコンと湧き出している清水の周りで、多くの びっき たちが楽しそうに鳴いている。これを見た武士が清水に手を入れてみると、少し温めの湯であった。そして、驚いたことに、その湯に傷ついた手を入れた瞬間、その傷の痛みが、みるみるうちになくなっていった。 「 この湯はすごい ! 命が助かるかもしれない ! 」 と思った武士が、毎日毎日、何回も何回も湯に入ったところ、不思議なことに、体にあった無数の傷が完全に治ってしまった。そのため、いつしか、里人たちは、この湯のことを、 “ びっき の湯 ” と呼んで湯治場にしたという。

参考 『 おおさと 昔かだり 』
現地で採集した情報


現地レポート

びっき の湯と聞くと、温泉の施設などをイメージする方も多いと思うが、実際は井戸水である。昔、この井戸水で生活していた屋敷があり、そこでの出来事が基になって、この伝説を形成したと推量できる。今回、子供の頃、この屋敷に住んでいたという古老から話を聞くことができた。因みに、その古老は、代々、この屋敷に住んでいる一族の中の一人である。その古老の証言によると、 「 皆さんの話を聞いて驚いています。湯治場になっていたということですが、今まで湯治場になったこともありませんし、温泉が湧いたということもありません。単なる井戸水です。昔、この井戸水の水質調査をしたことがありましたが、詳しいことは覚えていません … 。でも、科学的な根拠は分かりませんが、切り傷に効果があったのは事実です。匂いも少しあったかなぁ … 。私の祖母が、目の上に傷ができた時、この井戸水でタオルを濡らして傷口を拭いたら、すぐに治りましたから 」 とのことであった。上の写真の赤丸が、その井戸。


昔、この屋敷の周囲は湿地帯だったので、多くの蛙が生息していた。その為、この屋敷は、 “ びっき 屋敷 ” と呼ばれていたのだが、古老は、子供の頃、そう呼ばれるのが嫌だったという。上の写真が、現在の びっき 屋敷。また、当時、この屋敷では、この井戸水を沸かした湯に入っていたのだが、 「 不思議でしたねぇ。温い湯なのですが、湯から上がった後、すごく体がポカポカしたんです 」 とのことである。


この古老の父親が生きていた時までは、一年に四回、土用の日に必ず屋敷を開放して、 びっき の湯を里人たちに提供していた。古老は、 「 まだ子供でしたが、多くの御爺ちゃんや御婆ちゃんが屋敷に来たことを覚えています 」 と証言している。


この井戸水は、現在も使用されている。昔、この伝説がラジオで放送された時には、多くの方が、 びっき の湯をもらいに訪ねてきたらしい。また、五年ほど前、内臓の病気で排尿ができなくなった老女が来て、 「 お腹に通している管の傷が激しく痛みます。 びっき の湯を傷口にぬりたいので、少しだけ分けてください 」 と言って、井戸水を持ち帰ったという。


古老の親戚の方が、この伝説を初めて聞いた時、 「 へぇ 〜 、そうなんだ ! 」 と言って、蛙のグッズを集め始め、現在では、部屋の中が蛙のグッズで埋め尽くされているという。


当時、井戸は上の図のような配置であった。古老が子供の頃、湧水が当たっている赤丸の部分に浮かんだ模様が、般若面に見えたという。 「 子供の頃は、あの般若面のように見える模様が、すごく恐かったんです。でも、今、考えてみると、子供を危険な井戸に近づけない為に、親が、 『 般若面に似てるなぁ 』 と故意に言って、恐がらせたのかもしれませんね 」 とのことであった。


因みに、これが般若面。確かに、これに似ている模様が浮かび上がっていたら恐い … 。 ウェブサイト 「 NAVER 」 より画像を引用させていただきました。


平成 28 年 1 月 11 日 ( 月 ) 掲載


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