伝承之蔵

森に消えてしまった幸せ
大郷町/大松沢

   昔、この里に、ある仲の良い夫婦が住んでいた。ある日、その夫婦が仕事から帰ってくると、屋敷の近くに、病気で骨と皮だけになってしまった牡馬が倒れていたので、 「 これはひどい … 、かわいそうに … 」 と思った夫婦は、その馬を屋敷まで引きずっていき、自分たちが食べる分の食糧まで与えて介抱した。しばらくして、奇跡的に快復した馬が、 「 毛並みの良い名馬だ ! 」 と評判になって種馬として活躍した結果、夫婦は大金持ちになって裕福な暮らしができるようになった。さらに、諦めかけていた子供も生まれ、その子供が立派に成長して里で一番の笛の名人になると、すっかり、夫婦は傲慢になってしまった。

   数年後、また、その馬が病気になって苦しんでいると、夫婦は、 「 この馬も老いたから、もう種馬としては使えない。お金にならない馬は必要ないな 」 と言って放置し、やがて、 「 食糧を与えるのも、もったいない ! 」 と言って、餓死しそうな馬を屋敷から追い出した。ところが不思議なことに、馬を追い出した後、夫婦には悪いことが続き、ついには、溺愛していた子供までもが急病で死んでしまった。

   その後、夫婦が、子供の供養のために 身延詣で をしていたとき、神様から、 「 お前たちの子供が死んだのは、病気の馬を屋敷から追い出し、餓死させたことの報いなんだぞ ! 」 という御告げがあった。驚き恐れた夫婦が急いで里に帰って馬を探したところ、ある森の中で白骨となっている馬の死骸を発見。夫婦は、馬の死骸を森の頂上に葬って懇ろに供養し、その上に一本の松の木を植えた。そして、毎日、馬のことを悔やみながら、ひっそりと死んでいったという。

参考 『 おおさと 昔かだり 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝説の馬を葬った森は、 “ 相善ヶ森 ” と呼ばれている。おおさと 昔かだりでは、この伝説に、そのまま、相善ヶ森というタイトルをつけているのだが、なぜ、相善ヶ森と呼ばれるようになったのかの記述はない。因みに、里人たちは、この伝説の松の近くに祠を建てて、その馬を供養したという。この伝説の馬を葬った森は、 “ 相善ヶ森 ” と呼ばれている。おおさと 昔かだりでは、この伝説に、そのまま、相善ヶ森というタイトルをつけているのだが、なぜ、相善ヶ森と呼ばれるようになったのかの記述はない。因みに、里人たちは、この伝説の松の近くに祠を建てて、その馬を供養したという。


多くの里人たちに、 「 相善ヶ森という森を探しているのですが、ご存知ですか ? 」 と聞いたところ、やっと、九十歳ほどの古老に、 「 知ってるよ。でも、あの川の向こう側にあるから、そっちで聞いた方が分かりやすいよ 」 と教えていただいたのだが、上の図の赤丸の辺りで聞いても誰も知らなかった。 最後に、この里に最も古くから住んでいるという千葉家の方に聞いてみても、おおさと 昔かだりを読んではいたものの、相善ヶ森の正確な場所となると、 「 ん 〜 、分からないなぁ … 」 とのことであった。私が、 「 川の向こう側の古老が、 『 確かに、相善ヶ森という森はある 』 と言っているのですが … 」 と伝えると、千葉家の方が、知人の八十三歳の古老に電話で聞いてくれた。


その古老の話によると、上の写真の赤い矢印の山の向こう側に、相善ヶ森と呼ばれる森があるという。そして、昔、相善ヶ森の頂上に祠があったが、現在、その祠の所在は不明だとも証言してくれた。因みに、近くに松の木があったかに関しては覚えていないとのことである。また、私の、 「 あの山を越えて相善ヶ森まで行けますか ? 」 との問いに対しては、 「 無理だ 」 との回答であった。昔は、相善ヶ森までの道があったのだが、現在、その道はなくなっている。


相善ヶ森を探していた時、六十歳ほどの里人が、 「 相善ヶ森という森でのことかは分からないが、私が子供の頃、近所の御爺ちゃんから、 『 昔、森の麓で神輿を担ぐ祭りがあって、すごく賑やかだった 』 という話を聞いたことがある 」 と証言してくれた。気になる証言ではあったが、残念なことに、その祭りに関して知っている里人が誰一人としていなかったので、その祭りが本当に存在したのかも不明である。今回、相善ヶ森に関して知っている里人たちが、ほとんどいないことが確認できた。恐らく、2 〜 3人ほどの古老が知っているのみであろう。しかも、その古老たちの記憶も曖昧である。もはや、滅び行く伝説なのかもしれない。


平成 28 年 1 月 28 日 ( 木 ) 掲載


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