乳っこ地蔵 |
大郷町/大松沢/切塞 |
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昔、この里を、雑草まで食い尽くさなければ死んでしまうような飢饉が襲った。乞食をする里人や、墓を掘り返して死者の衣類を盗む里人まで出現、 “ 間引き ” や “ もどす ” と呼ばれる、生まれたばかりの赤ん坊を殺すという行為も公然と行われた。 幸助 という里人の夫婦の赤ん坊は、栄養不足で母乳の出ない母親の乳をしゃぶりながら、ただただ泣いているという状態であった。この幸助のような餓死を待つだけの夫婦は、泣くことすらできなくなってしまった赤ん坊を哀れに思い、その多くが、ある堤に身を投げ、親子で抱き合いながら堤の底深くに消えていった。 飢饉の後も、この里では、毎年、夏の夜になると、堤の底から母親の母乳を欲しがる赤ん坊の泣き声が響いてきたので、哀れに思った里人たちは、堤のほとりに地蔵を建てて、その赤ん坊たちを懇ろに供養した。すると不思議なことに、泣き声がやみ、再び、その声を聞くことはなくなった。そのため、いつしか、里人たちは、この地蔵のことを、 “ 乳っこ地蔵 ” と呼ぶようになったという。
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現地レポート |
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この伝説の堤は、現在の
薬研沢堤
の辺りにあった堤のことである。上の写真が、薬研沢堤。
上の写真の左側の道を進むと薬研沢堤があり、右側の道を進むと乳っこ地蔵がある。
これが、乳っこ地蔵。
おおさと 昔かだりには、乳っこ地蔵と記述されているが、ここでは、 “ 乳房地蔵尊 ” と表記されている。
この里の悲しい歴史の象徴である。
平成 28 年 1 月 28 日 ( 木 ) 掲載
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