伝承之蔵

品井沼の巨大な蛭
大郷町/大松沢/法堂撫山宅地

   昔、 品井沼 に、ある恐ろしい怪物が棲んでいて、毒を含んだ息を吹きかけたり、生き血を吸ったりして多くの里人たちを殺していた。また、その怪物は、ジッと見つめるだけで人間を病人にしてしまうなどの不思議な技も身につけていたので、里人たちは、恐怖で家の外に出ることもできなかった。そこで、困った里人たちが、この怪物の存在を京の都に報告したところ、その怪物を退治するため、この里に、 中将為義 と光雄姫の二人が派遣された。遠い都から品井沼まで来た二人は、 「 はるばると 陸奥の品井に きてみれば 島かげ見えぬ うきのつたかな 」 ( 遥々と陸奥の品井沼まで来て周りを見渡してみたが、島の姿も見えないような、つる草の生い茂った沼地であることよ ) と歌い、中将は、広い品井沼を小高い丘の上から監視し、光雄姫は、何でも姿を映し出せるという、 “ 権現の鏡 ” を使って怪物の姿を鏡に映しだして監視した。

   すると、突然、樹木や岩石を吹き飛ばすような激しい風が吹いたかと思うと、怪物が沼の底から二人の前に姿を現わした。全長は十五メートルほどで色は真っ黒、幅も三メートルほどある蛭のような形をした怪物は、六メートルほどの細長い手の先が鋭い剣のようになっていて、そこからは火炎を吹いている。そして、九メートルくらいの大きな目が、太陽のようにギラギラと光り輝いていた。その恐ろしい姿に里人たちが恐怖していると、これを見た中将が腰の 叢雲の剣 を抜いて、 「 南無八幡大菩薩 ! 南無八幡大菩薩 ! 」 と唱えながら怪物の体を斬ると、怪物は悲鳴をあげながら沼の底に沈んでいった。すぐに、沼の水が怪物の血で真っ赤に染まり、沼の底からブクブクと泡がたってきたかと思うと、浮かんできた怪物の死骸が水面で粉々になって無数の小さな蛭に変身した。

   怪物は退治したものの、今度は、この蛭が里人たちを困らせたので、中将と光雄姫は、すべての蛭を焼き殺そうとしたのだが、焼いても焼いても次々と蛭が湧いてきたので、疲れ果てた中将は、とうとう病気になって戦えなくなってしまった。その後、光雄姫が必死に看病し、この里に住んでいた 彦兵衛 という里人が山海の珍味で養ったところ、不思議なことに数日で中将の病気が治り、さらに蛭の退治に努めて全滅させ、この里を平和に導いたという。

参考 『 おおさと 昔かだり 』
現地で採集した情報


現地レポート

おおさと 昔かだりには、 「 後になって、この中将は辯天の位を受け、又光雄姫は辯才天という称号を授かったのである 」 とある。中将為義は、平安末期の武将である源為義をモデルにしたものと思われるが、光雄姫に関しては、本文中に、「鬼退治で名をはせた」とあるだけで、読み方も不明である。


おおさと 昔かだりに、 「 彦兵衛が辯天の尊像を、法華経をもって自家に勧請、法堂のお深谷さまとして、子孫に伝えたのだという 」 とあったので、この 深谷権現 の場所を里人たちに聞こうと思ったのだが、運が悪かったのか、誰もいなかった … 。


こちらにも人影なし … 。



家のチャイムを鳴らしても、全て不在 … 。



おっ ! やっと人がいた ! すいませ 〜 ん !



この辺りに深谷権現があるはずなのですが … 。フムフム、この道を直進して … 、右に曲がって … 。そこにあるんですね ! ありがとうございました !


本当だ ! あった ! 赤い矢印が、深谷権現。



かなり急な階段である … 。



落ちたら終わり … 。



これが、深谷権現の鳥居。



これが、深谷権現の拝殿。



これが、深谷権現の本殿。因みに、深谷権現の北側に 貝柄塚 という地名があるのだが、この伝説の怪物が退治された後、里人たちが貝殻で塚を築いて怪物を供養した為、その里は貝柄塚という地名になったという。おおさと 昔かだりには、 「 その後、住民は恐ろしかった怪物の招魂のため、貝殻をもって塚を立て、手長の明神を勧請した事で貝柄塚が生まれ … 」 とある。


平成 28 年 4 月 6 日 ( 水 ) 掲載


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