伝承之蔵

長沼の大鰻
大郷町/粕川/長沼

   昔、この里にある森の中に、周りが八百メートルほどもある大きな沼があり、その形が細長いことから、里人たちは、この沼のことを、 “ 長沼 ” と呼んでいたのだが、昔から、この沼の深さを知る者はなく、里人たちは、 「 あの沼には、大きな鰻が棲んでいて、沼の近くを通る人間を沼の中に引き込んで、食べてしまうそうだ 」 と噂して恐れ、誰も近づかなかった。ところが、いつも薄暗くて不気味な場所にもかかわらず、釣りをする者の間では、最も良い釣り場として知られていた。

   ある日、そのような噂など全く気にしない 藤太郎 という里人が、長沼で釣りをしていたのだが、どういうわけか、その日は一匹も魚が釣れなかった。藤太郎は、 「 おかしいなぁ … 。いつもは、あんなに釣れるのに … 」 と、不思議に思いながら釣りを続けたのだが、その後も全く釣れなかったため、いつの間にかウトウトと居眠りをしてしまった。すると、突然、周辺の木々がザワザワと音を立て始め、どこからともなく、 「 ト 〜 タロ 〜 、 ト 〜 タロ 〜 」 と、藤太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。その声に気づいた藤太郎が、ハッと目を覚ますと、今にも沼に転落しそうになっていたので、藤太郎は、 「 おぉ … 、危ない … 、危ない … 。あと少しで沼に落ちるところだった … 」 と呟きながら、ふと、沼の水面に目をやった。すると、沼の底から、今まで見たこともないような大きな鰻が、藤太郎に近づいてくるのが見えたので、驚き恐れた藤太郎は、 「 うわぁぁぁ 〜 ! 」 と叫びながら、その場から一目散に逃げ出した。

   里人たちは、 「 やっぱり、大鰻が棲んでいたんだ。藤太郎が大鰻に食べられそうになったので、長沼のほとりに祀ってある雷神さまが、藤太郎に危険を知らせるため、名前を呼んでくださった。ありがたい … 、ありがたい … 」 と噂し、藤太郎を助けてくれた雷神さまに感謝した。しかし、残念なことに、それ以後、長沼で釣りをする里人はいなくなってしまったという。

参考 『 おおさと 昔かだり 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、雷神社の鳥居。



これが、雷神社の拝殿。



これが、雷神社の本殿。



これが、雷神社。この伝説の中には出てこないが、この里は昔から頻繁に落雷がある場所だった。この里に住んでいる古老が、 「 昔、屋敷の近くに樹齢が三百年ほどになる大木があったが、雷が落ちて、その後、枯れてしまった 」 と証言している。因みに、この神社は、昔から里に住んでいた七軒ほどの屋敷が、 “ 雷神さま = なりがみさま ” と呼んで信仰したのが始まりであり、現在でも、毎年、四月二十五日に祭りをしている。


古老は、 「 昔、雷神社は森の中にあった。もう少し、南側だったかなぁ … 」 と証言している。古老が証言している森とは、上の写真の赤い斜線部である。現在は、吉田川の堤防になっている。因みに、長沼があったのは、現在の雷神社を含む、上の写真の赤い矢印のあたり。この古老が十歳くらいの時、それまで、 “ 一区画を 一反 ” と定めていたものを、 “ 一区画を三反 ” に変更して田圃を整備した。そして、同時に田圃の周辺の道路も整備したという。それが、現在の姿である。


上の写真は、古老が見せてくれた、大郷町史に掲載されている昭和三十年頃の長沼の写真である。少し見えにくいかもしれないが、大きな沼の向こうに小さな沼が二つある。この三つの沼を総称して長沼と呼んでいた。最も深い場所では、深さが約3.3メートルもあり、沼の水は、とても澄んでいて綺麗だったという。因みに、現在、雷神社が建っているのは、赤丸のあたり。


余談ではあるが、上の写真の赤い矢印は、長沼の中に浮かぶ小さな島である。この島の所有者は、この小さな島まで舟で渡って米を作っていた。次の写真が、その部分の拡大写真。


私が古老に、 「 なぜ、こんな場所で米を作ってたんですか ? 面積も狭いですし、すごく効率が悪いですよね … 」 と聞いたところ、 「 意地だね ♪ 」 との答えであった。吉田川の氾濫によって長沼の形が頻繁に変わり、最後には田圃の周りが水没して島になってしまったという。これにキレた田圃の所有者は、 「 いいかげんにしろ ! 」 という意思表示の為、意地になって米を作り続けた。フフフ … 。


古老の話によると、長沼には、鰻・鰌・鯰・鮒・雷魚など、多彩な魚が生息していたという。特に、長沼で獲れた天然の鰻は上質で、松島の料亭などに高値で売れた。また、鮒が釣れることは、釣りの世界では有名で、鮒を釣る大会を開催した時、その優勝者は、20 〜 30匹もの鮒を釣っていた。当時、その様子は、仙台放送でも紹介されたらしい。


上の写真の赤い矢印の場所に、細い用水路がある。この用水路は、昔、大きな堀になっていて、沼から水を引いていた。古老の話によると、 「 この堀と沼は、底でもつながっていたようです。私が子供の頃、堀の底を清掃すると、必ず、鰌が5 〜 6匹いました 」 とのこと。因みに、長沼に生息していた雷魚は、その長さが約1.5メートルもあったという。


この伝説は、沼・雷・釣り・魚など、この里の生活に密着していたものを豊富に含んでいる。これは珍しいことであり、同時に、ありがたいことでもある。なぜなら、現在、雷神社と用水路しか遺跡は残っていないが、古老の話を聞けば聞くほど、私の頭の中に、この伝説の内容が映像として活き活きと浮かんでくるからである。


平成 28 年 10 月 30 日 ( 日 ) 掲載


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