伝承之蔵

赤沼
利府町/赤沼/宮下

   仁寿 年間、ある沼の近くで、妊娠している女性が、お産のための宿を探していた。ところが、その女性は、あまりにも身なりが豪華で、とても普通の旅人とは思えなかったので、里人たちは、警戒して宿を貸さなかった。しかし、その女性を哀れに思った老夫婦が、お産のための宿を貸してくれたため、その女性は、その宿で安産し、元気な赤ん坊を産むことができた。その後、生まれた赤ん坊を見ているうちに、里人たちの心も和んできたため、里人たちは、この女性と赤ん坊のために、新しい小屋を建てたり、食べ物を貢いだりして、いろいろと世話をしはじめた。すると、その女性は、里人たちに感謝し、その御礼に、里人たちに裁縫や手芸などを教えたため、里人たちは、他の里では見られないほどの教養を身につけることができた。その女性と赤ん坊が、この里を去った後、里人たちは、その女性が、お産で汚れた衣類を沼で洗ったとき、沼が赤く染まったのを思い出したので、いつしか、里人たちは、この沼のことを、“ 赤沼 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 利府町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、赤沼。



この伝承では、赤ん坊を産んだ時の鮮血で染まった衣類を、この沼で洗ったところ、沼の水が赤く染まったので、赤沼と呼ぶようになったと記述したが、別の伝承もある。それが、上の写真の説明文。こちらの命名の方が、自然だと思われる。


この女性と赤ん坊が、この里を去った時の里人たちの惜別の情は、たいへんなものであった。その後、里人たちは、この女性が、 藤原良房 の娘で、 文徳天皇 の后であり、文徳天皇にかわって陸奥を政情視察している旅の途中であったことを知り、 染殿神社 を建てて、この后を祀ったという。因みに、染殿とは、藤原良房の邸宅のことである。上の写真は、染殿神社の入口。


この階段を上っていく。



これが、染殿神社の本殿。



近くにあった説明文1。



近くにあった説明文2。



近くにあった説明文3。



これは、染殿神社にある碑。



近くにあった説明文。



平成 18 年 3 月 18 日 ( 土 ) 掲載
令和 5 年 8 月 9 日 ( 水 ) 改訂


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