残念ながら、この伝承の柳沢寺は現存していない。
古老の話によると、里人たちは、この伝承の大きな蟹の死骸を柳沢寺の近くに葬り、その場所を、“
蟹ヶ沢
”と呼び、その場所がある森を、“ トガ森 ”と呼んだという。上の写真が、トガ森。柳沢寺跡に行くには、赤い矢印の道を進む。
ここが、入口。
ここを、上っていく。
ずっと…。
ずぅぅぅ 〜 っと、上っていく。
しばらくすると、道が二つに分かれるので、左の道を進む。そして、行き止まりのあたりが、昔、柳沢寺があった場所。
上の写真が、その場所。ここが、柳沢寺跡。利府町誌には、「 約五畝歩位の面積で、今は金生囲の田となって、耕作されている 」とある。古老の話によると、確かに、昔、ここに田があって、耕作していた者がいたという。しかし、現在は、雑木林となっている。
これは、この伝承に関連している場所の全体図。利府町誌には、「 年代は詳かではないが小野田村( 今の春日 )にある愛宕神社の北方、黒森、県有林地内に『 がに沢 』と言われるところがある 」とある。がに沢と、前述の蟹ヶ沢は、同じ場所をさしているのだが、黒森は、愛宕神社の東側にあるので、利府町誌の記述は誤りであろう。恐らく、トガ森と黒森を混同していると思われる。
これが、愛宕山。古老の話によると、この愛宕山の頂上に、愛宕神社があったという。この山に登って、頂上あたりを調査したのだが、何もなかった。しかし、古老は、立派な鳥居や祠があったと証言しているので、もっと詳しく調査すれば、愛宕神社の跡は発見できると思われる。因みに、愛宕神社への道は、台風による土砂崩れでなくなってしまった。
蟹ヶ沢という言葉でも分かるように、昔、このあたりは沢だった。古老の話によると、昔、台風で図の池の堤防がきれて、水があふれだしたことがあったという。そのとき、池の底から、数個の石が転がってきたのだが、その石には、法名が刻まれていた。当時、「 この石は、柳沢寺から沢に沿って転がってきたのではないか 」と噂になったらしいが、詳細は不明とのことである。
これが、その池。上の赤丸のあたりが崩れて、水があふれだした。そして、下の赤丸のあたりに、法名が刻まれた石があった。
これが、法名が刻まれていたという石。
ゴロゴロ転がっている。
残念ながら、現在は、すりへっていて文字を読みとることはできないという。
上の写真の右は、愛宕山。赤丸は民家。この民家と愛宕山の間には湧き水がでていて、この民家では、その湧き水を使用しているのだが、今までに、一度たりとも、この湧き水が涸れたことはなく、ときどき、この湧き水を通しているパイプの中に、小さな蟹が入っていることがあるという。
平成 18 年 3 月 22 日 ( 水 ) 掲載
令和 5 年 8 月 9 日 ( 水 ) 改訂
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