白鳥事件 |
柴田町/船岡 |
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慶応四年、戊辰戦争で仙台藩が官軍に敗北したため、官軍は、この里に進駐して自由気ままに行動していた。当時、この里には白鳥信仰があり、里人たちの白鳥への想いは、 「 白鳥は遠くから拝むものだ。決して近づいてはいけない 」 というほど、純粋なものであったのだが、 ある日、官軍の兵隊たちが、鉄砲で白鳥を撃って楽しんでいるのを見た二人の旧仙台藩士が激怒し、近くの屋敷から鉄砲を持ってきて、その兵隊たちを撃ってしまった。幸いにも、弾はそれて白鳥も兵隊も死なずにすんだのだが、これに激怒した官軍は、この里の代表である 柴田意次 に対し、犯人の逮捕と引き渡しを命じた。 意次は、家来に命じて犯人を捜させ、すぐに一人は逮捕したのだが、残りの一人である 森玉蔵 という者は行方不明になっていて、どうしても逮捕することができなかった。それでも、毎日のように官軍から、 「 もう一人も早く逮捕しろ ! 」 と、厳しく命じられていた意次は、ちょうど、戊辰戦争の責任を問われた旧仙台藩士の一行が、東京へ護送されている途中であったため、それらの者たちに悪い影響がでることを恐れて激しく動揺した。 そこで、意次は、しかたなく、玉蔵の義兄の首を官軍に引き渡したのだが、それでも、官軍は厳しく事件の責任を追及してきたので、意次は、それらの責任をとって切腹し、三十年という短い生涯をとじたという。 平成 18 年 11 月 30 日 ( 木 ) 掲載
平成 27 年 3 月 22 日 ( 日 ) 改訂
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