伝承之蔵

浮穴ノ貝
七ヶ浜町/松ケ浜/浜屋敷

   文化 四年、ある漁師が、 御殿崎 の沖で釣りをしていたとき、大きな亀が水面に浮かんできたので、その漁師は、その亀を捕まえて家に帰り、酒などをふるまってから海に放してやった。ところが、次の年も、同じ亀が水面に浮かんできたので、また、同じように酒などをふるまって海に放してやると、さらに、次の年には、貝のようなものを背中に載せて水面に浮かんできた。その漁師が、その亀を見てみると、何者かに左手が食べられていたので、心の優しい漁師は、傷の治療をしてから海に放してやった。

   ところが、翌日、その漁師が、御殿崎の海岸を散歩していると、その亀が、貝のようなものを背中に載せたまま死んでいるのを発見したので、それを哀れに思った漁師が、亀の死骸を 養松院 に埋めて、 亀霊明神 と呼んで祀ったのだが、その後、亀の背中に載っていた貝を調べてみたところ、“ 浮穴ノ貝 ”という珍しい宝であることがわかった。そのため、里人たちは、「 この亀は、漁師の恩に報いようとして、浮穴ノ貝を得るために、危険の多い海底に近づいたために、大きな魚に左手を食べられてしまったんだなぁ…。言葉は通じないが、命をかけて恩に報いようとする心は、人間でも及ばない 」と噂し、感心したという。

参考 『 七ヶ浜町誌 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、養松院の入口。



これが、養松院の山門。



これが、養松院の本堂。私が、約17年前に養松院を訪れた時、すでに、養松院に亀霊明神はなかった。住職の話によると、「 昔、他の場所に移してしまったようです。詳細を知っている方を紹介しますので、訪ねてみてください 」とのことであったので、その方の家を訪ねてみたのだが、留守だったので、結局、亀霊明神と浮穴ノ貝に関して、詳細を知ることはできなかった。しかし、現在、この伝承に関しては、七ヶ浜町のウェブサイトに記述があることが分かった ( ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます )。


近畿大学の教授である藤井弘章さんが、「 江戸時代におけるウミガメ祭祀の成立過程−−宮城県七ヶ浜町の伝承と新出資料の比較を通して−− 」という論文の中で、この伝承に関する記述をしているので、興味のある方は、読んでみることをお薦めします ( ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます )。 上の写真は、この論文に掲載されていた亀霊明神。


上の写真は、上記の論文に掲載されていた浮穴ノ貝。



平成 18 年 5 月 7 日 ( 日 ) 掲載
令和 5 年 10 月 26 日 ( 木 ) 改訂


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