伝承之蔵

河童の霊薬
色麻町/一の関/東苗代

   昔、夜な夜な、ある殿様の屋敷のトイレに河童が現われ、お姫様に悪戯をしたので、ある日、女装した若侍がトイレの中で河童を待ち伏せしていたところ、なにも知らない河童が、いつものように悪戯をしたので、その若侍に腕を切り落とされてしまった。すると、河童は、「 今までの行動を反省しますので、腕を返してください 」と頼んで、若侍に腕を返してもらうと、“ 河童の霊薬 ”を腕に塗り、切り落とされた腕をぴったりとくっつけた。そして、「 腕を返していただいて、ありがとうございました 」と、若侍に感謝すると、その霊薬を御礼として若侍に贈った。

   この霊薬を乱用すると、河童の崇りがあるので注意が必要なのだが、適正に使用すれば、切り落とされた首や手足がぴったりとつながったりするほかに、逃げた女房や片想いの人に塗れば、心と心がぴったりとくっついて想いがかなうという霊験がある。そのため、この若侍も、その後、この霊薬の神通力で武功をたてて出世したという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真は、この里にある 磯良神社 の鳥居。この神社は、 延暦 二十三年、 坂上田村麻呂 が蝦夷征伐をした時、常陸の国の磯良神社を勧請したと伝えられている。


坂上田村麻呂が蝦夷征伐をした時、河童のような立派な泳ぎで水先案内をつとめた 東右衛門 という男が、その功績によって田村麻呂から、この里の土地と川童の姓を与えられ、以後、 川童東右衛門 と名乗った。東右衛門の死後、その死を悲しんだ里人たちは、河童明神の祠を建てて、東右衛門を祀ったという。因みに、現在の宮司は渥美という姓だが、それ以前の宮司は、代々、川童という姓であった。このようなことからも、古くから河童と深い縁で結ばれている里であることが分かる。


これが、磯良神社の本殿。



これは、当時、河童が棲んでいたという 河童川 への入口。赤い矢印が河童川なのだが、現在、水は流れていない。



これが、河童川の跡。古老の話によると、「 深さが2メートルもある立派な川だったんですが、田をつくるために埋めたててしまいました 」とのこと。


獣道のように見えるが、これが河童川の痕跡。



上の写真は、磯良神社の境内にある樹齢が数百年という公孫樹の大木。残念ながら、赤丸の部分が切断されている。



こんな感じ。古老の話によると、「 田をつくるために河童川を堰きとめた時、水がよどんで周りの木々が枯れはじめてしまいました 」とのこと。河童川とともに暮らしてきた木々には、人間の欲は苦々しいものだったのであろう。


上の写真は、現在、河童川と称している川。磯良神社からは少し離れている。



上の写真は、境内にある河童の像。河童の好物のキュウリが御供えしてあった。昔、この里では、河童様にキュウリを御供えする前にキュウリを食べることは禁じられていた。また、御供えした後のキュウリは、必ず、河童川に流したという。


磯良神社は、縁結びと下の病気に霊験がある。



平成 17 年 7 月 3 日 ( 日 ) 掲載
令和 6 年 1 月 7 日 ( 日 ) 改訂


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