伝承之蔵

猿曳壇
色麻町/高根/高台道下

   昔、この里に、 小塚織兵衛 という弓の名人が住んでいたのだが、戦争の武器が、弓矢から鉄砲にかわってしまったため、退屈な日々を送っていた。ある日、織兵衛が、ぼんやりと里の風景を眺めていると、はるか遠くに何かを背負った里人が歩いているのが見えたので、よくよく、それを見てみたところ、その里人が背負っているものが、なにやらモゾモゾと動いているのがわかった。織兵衛は、「 ん〜、よく見えないが、最近、この里で見かけるようになった猿回しのようだな… 」と思ったのだが、このとき、自分の弓の実力を見せる場がなくなっていた織兵衛に、 「 人間を弓で殺すのは良くないが、背中の猿なら良いであろう 」という恐ろしい考えがうかんだ。そして、織兵衛は、背中の猿に向かって弓を放ったのだが、しばらく弓を射っていなかったため、その放った矢が、猿と同時に猿回しの体を貫いてしまった。このことにショックを受けた織兵衛が、自分の愚かさを後悔し、猿回しと猿が死んだ場所に二つに重ねた石を置いて、猿回しと猿の霊を祀ったので、いつしか、里人たちは、この石のことを、“ 猿曳壇 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

色麻町史には、「 高台道 の交叉する辻の、俗にいう湯殿山と称する道端に、三つ重ねの石を建てて猿廻しと猿の霊を祀った 」とある。この湯殿山には、上の図のように、猿曳壇と湯殿山の碑があったのだが、湯殿山の碑は、いつの頃かは不明であるが、地面に埋まってしまったという。この里に住んでいる 早坂冬夫 さんの話によると、昔、この里にある旭工業という会社のダンプカーが、近道だった細い高台道を通った時、角を曲がりきれずに何回も湯殿山の碑を倒していたため、それを繰り返しているうちに、いつの間にか、埋まってしまったらしい。因みに、色麻町史には、三つ重ねとあるが、これは、二つ重ねの誤り。


猿曳壇は、昔、この里の地盤整備をした時に別の場所に移された。現在は、冬夫さんが所有している山の中にある。冬夫さんに、「 山を登って猿曳壇を見ることは可能ですか? 」と聞いたところ、 「 ん〜、道があれば五分くらいで行けるけど、今は、道がないからねぇ… 」とのことであった。因みに、この伝承に登場する小塚織兵衛は、実在の人物であり、その子孫の方は、現在、仙台市に住んでいる。古老の話によると、昔、弓の名人を決める大会に織兵衛が参加した時、ちょっとした指の怪我が原因で優勝を逃したことがあったという。猿曳壇の話と合わせて考えると、どうも運に恵まれなかった人物という印象をうける。


今回の改訂で、猿曳壇への地図がないことに気づいた。冬夫さんの屋敷の裏山だったので掲載しなかったのか、ただ単に忘れただけだったのかは覚えていない。上の写真の赤丸を通った記憶があるので、恐らく、写真の左側の山の中に猿曳壇が残っていると思われる。


平成 21 年 9 月 14 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 13 日 ( 土 ) 改訂