伝承之蔵

地蔵っ子平
色麻町/小栗山

   昔、 藤原清経 の家来に、 千引岩 という天下無双の相撲とりがいたのだが、清経が 北山氏衡 の城を攻めたとき、この千引岩と氏衡の家来である 康衡滝野沢 あたりで激突して一騎討ちとなり、追いつ追われつの激闘となったが、最後は、千引岩が康衡の首をねじ切って見事に勝利した。そして、康衡との戦いでヘトヘトに疲れた千引岩が、近くにあった川で喉を潤したところ、この川の水には氏衡軍が上流から流した毒が入っていたので、千引岩は、その場で苦しみながら死んでしまった。その後、千引岩を哀れんだ里人たちが、その遺体を葬り、その上に石を置いて供養したので、いつしか、里人たちは、このあたりの平地のことを、“ 地蔵っ子平 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真のあたりが、地蔵っ子平。古老の話によると、赤丸のあたりに碑があるはずなのだが、草が邪魔で見つけることができなかった。因みに、赤い矢印の下が、 毒沢川


これが、約15年前に掲載した毒沢川。千引岩は、ここの水を飲んで死んだ。この写真は、 毒沢橋 の上から撮影したのだが、橋というには短すぎて、気をつけて見ていないと気づかずに通過してしまう。


上の写真は、約15年後、Google マップで調べた地蔵っ子平。はっきりと毒沢橋が見える。



へぇ〜、石垣もある立派な川だったんだ。



古老が話してくれた碑を探してみたのだが、見つからなかった。もともとなかったのか、どこかに移されたのか、現在も詳細は分からない。


滝野沢から地蔵っ子平までは、約1.5キロほど離れている。もしかしたら、当時の里人たちは、この距離感から、この伝承の千引岩と康衡の戦いの激しさを感じとっていたのかもしれない。


平成 21 年 9 月 14 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 15 日 ( 月 ) 改訂


地図