伝承之蔵

新八大明神
色麻町/四竃/向町

   文化 年間、この里に、 白石運三郎 という地頭が住んでいて、その運三郎の使用人に 新八 という者がいたのだが、新八は、子供のころから親孝行で、食事のときも、父親が食べないうちは、けっして箸をつけなかった。ところが、新八の嫁は、たいそう心が醜く、病弱な新八の父親に対して、何かと意地悪をしては苦しめていた。ある日、「  ふふふ…、新八は、必ず、父親に先に食事をとらせるはず…  」と思った嫁が、針が入った食事を新八に出したところ、嫁が思ったとおり、新八は、「  お父さん、食事の用意ができました。先に食べてください  」と言って、父親に食事をとらせた。そして、父親の食事の中から針が出てきた瞬間、すぐに、嫁は奉行所に、「  新八が、父親を殺害しようとしました  」と密告。ずっと妬み続けていた新八の孝心に傷をつけた。

   奉行所は、新八を逮捕して取り調べたのだが、「  真実を話したら、妻が罪人になってしまう…  」と思った新八は、妻の罪を知りながら、そのことを一言も話さず、打ち首になることが決まった。 打ち首になる日、新八が、「  私が有罪であれば、斬られた首は南に向き、無罪であれば、北に向く。もし、私の無実が証明されたときは、必ず、祟りがあるであろう  」と叫んだ後、首を斬られたのだが、斬られた新八の首は、見事に北に向き、自らの無実を証明。その後、新八の家は断絶し、この里にも多くの不幸があったため、驚き恐れた里人たちは、新八の霊を薬師如来として祀ったのだが、その効果はなく、不幸なことが続くことになった。しかし、しばらくすると、ある里人に、「  私の霊を 新八大明神 として祀れば、祟りはおこらなくなるであろう  」という、新八の霊からの御告げがあったので、里人たちが、そのとおりにして新八を祀ると、不思議なことに、不幸なことはおこらなくなったという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、新八大明神。新八が処刑された後、新八の家は断絶し、新八が所有していた土地を耕す者には、ことごとく災いがあったという。


この里にある 弥勒寺 という寺には、新八の法名が刻まれた碑がある。上の写真は、弥勒寺の入口。



入ってすぐ左にある。赤い矢印が、新八の碑。



これが、新八の碑。因みに、色麻町史には、「 安信常楽信士は新八の法名であるという 」とあるが、安信常楽信士は誤りで、正しくは、安心常楽信士である。


これは、弥勒寺の山門。



これは、弥勒寺の本堂。今回、弥勒寺の住職と奥さんには、たいへん親切にしていただきました。住職には、いろいろな伝承の地を教えていただき、奥さんは、わざわざ、その伝承の地を案内してくださいました。本当にありがとうございました。


平成 21 年 9 月 14 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 15 日 ( 月 ) 改訂


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