伝承之蔵

八之助大明神
色麻町/平沢/山下

   天保 の飢饉のとき、この里の里人たちが、何も食べるものがなく、ただただ、餓死するのを待つのみであったにもかかわらず、厳しく年貢を取りたてる血も涙もない代官がいた。このとき、この里に住んでいた 八之助 という者が、代官の屋敷で平身低頭し、耳が聞こえないふりをして代官の同情をひき、ただひたすら年貢の免除を嘆願し続けたところ、黙って八之助の話を聞いていた代官が、突然、「 おい、八之助。巾着の紐がほどけているぞ 」と言ったので、八之助は、思わず巾着に手をかけてしまった。すると、代官はニヤッと笑い、「 耳は聞こえているではないか。代官を騙そうとするとは、とんでもないやつだ 」と言って、仙台にある 七北田 の処刑場で八之助を打ち首にした。

   「 首を斬られるとき、八之助は、『 代官の一族を、末代までも呪ってやるからな! 』と叫びながら死にました 」という報告をうけても、その代官は、気にもとめなかったのだが、その数年後、馬に乗った八之助が七北田から代官の屋敷まできて、その代官に、「 よぉ…、ひさしぶりだな… 」と声をかけたかと思うと、ニヤッと笑いながらスーッと姿を消したことから状況は一変し、その代官の一族に次々と不幸なことがおこりはじめると、たまりかねた代官の末裔が、里人たちに、「 どうか、八之助の霊を祀ってはくれまいか 」と平身低頭して御願いしたので、里人たちは、祠を建てて八之助を祀り、懇ろに弔った。そのため、いつしか、里人たちは、この祠のことを、“ 八之助大明神 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

色麻町史には、「 平沢部落の 増子利成 氏宅の裏の崕を登ると、三メートル四面程の木造の社があり、里人は八之助大明神と呼んでいる 」とあるが、現在、増子利成さんは、別の場所に住んでいるので、その屋敷はなくなり、畑になっている。上の写真がそれ。


畑を通過すると、すぐに、上の写真のような坂が見えてくる。赤い矢印が、八之助大明神。



これが、八之助大明神。



これは、八之助大明神の内部。左側の赤い矢印が、当時の代官の像。右側の赤い矢印が、八之助の碑。



これが、代官の像。因みに、この像は、この伝承の代官の子孫の方から寄贈されたもの。



これが、八之助の碑。因みに、色麻町史には、「 八之助の子孫は明治の初年に北海道に移住した田中運蔵さんではあるまいかといっている 」とある。


現在は、仲良く並んでいる♪



平成 21 年 9 月 14 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 15 日 ( 月 ) 改訂


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