伝承之蔵

三日月不動尊
色麻町/清水/屋敷

   昔、この里にあった大きな沼に大蛇が棲みつき、里人たちに危害をくわえたので、里人たちは、毎日、大蛇の恐怖を感じながら不安な生活をしていた。このとき、 坂上田村麻呂 が、里人たちを助けようと、この大蛇と何度も戦ったのだが、一進一退の攻防が続き、なかなか大蛇を退治することができずに苦しんでいた。そんな、ある夜、ザワザワと気味の悪い風が吹いてきたかと思うと、全身の鱗を逆立たせた、角のある大蛇が姿を現わしたので、田村麻呂は、「 よし!今日こそ決着をつけてやる! 」と叫び、苦しみながらも、この大蛇を見事に退治した。田村麻呂の勝利を喜んだ里人たちが、その大蛇の死骸の腹をさいたところ、大蛇の腹の中から、一体の立派な不動尊像が出てきたので、里人たちは、その不動尊像を祀り、厚く信仰するようになった。そして、田村麻呂が大蛇を退治した夜は、ちょうど、 船形山神社 の端に綺麗な三日月が出ていたため、いつしか、里人たちは、この不動尊像のことを、“ 三日月不動尊 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 色麻町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

これは、この伝承に関連している場所の全体図。 延暦 十七年、坂上田村麻呂が蝦夷征伐をした時、田村麻呂は、京の都の清水寺から観世音菩薩を勧請して、この里に清水寺観音堂を建てた。古老の話によると、この堂には、この伝承で退治された大蛇の目が保管されているという。その古老は、小学生の時、その大蛇の目を見たことがあるのだが、その印象は、「 小さい石ころだなぁ〜 」とのこと。


これが、この里にある清水寺の入口。



これが、清水寺観音堂。



昔、この里には、葦が茂る低湿な沼地が多くあった。上の写真のあたりに、この伝承の沼があったのだが、七十年ほど前の地盤整備で消滅してしまった。


昔、この里に住んでいた、故・ 大内勝雄 さんの屋敷内に、 音羽の滝 と呼ばれている滝がある。坂上田村麻呂が、京の都の清水寺から観世音菩薩を勧請して、この里に清水寺観音堂を建てた時、京の都の清水寺にある音羽の滝に擬して、この滝を音羽の滝と命名したのだという。上の写真の赤丸が、音羽の滝。


これが、音羽の滝。



因みに、上の写真は、京都にある清水寺の音羽の滝。 ウェブサイト 「 THE GATE 」 より画像を引用させていただきました。


音羽の滝の近くに、三日月不動尊がある。赤い矢印が、三日月不動尊。



これが、三日月不動尊。私が、「 不動尊像はどこですか? 」と、故・大内勝雄さんの息子さんに聞いたところ、「 いつなのかは不明ですが、盗まれてしまったそうです 」とのことであった。余談ではあるが、色麻町史には、「 任をおえた田村将軍が京都に帰還のため出発したのが九月二十八日であったので、この日を不動尊のご縁日と定めた。春は四月二十八日、春秋二回の祭りの日として現在に至っている 」とあるが、御縁日をしていたのは五十五年ほど前あたりまでで、現在はしていない。この御縁日には、たくさんの出店があり、当時の里人たちの楽しみの一つだったという。


平成 21 年 9 月 14 日 ( 月 ) 掲載
令和 6 年 1 月 15 日 ( 月 ) 改訂


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