伝承之蔵

観音堂
亘理町/吉田/原

   昔、この里に、観音様を祀った立派な御堂があり、朝夕、美しい鐘の音が響きわたっていた。しかし、ある年、三日三晩も降り続く激しい暴風雨があり、御堂が倒壊して、釣鐘も水没してしまった。その後、里人たちは、 大畑浜 に御堂を再建し、再び観音様を厚く信仰したという。

参考 『 わたりの民話 』
現地で採集した情報


現地レポート

この伝説の四百数十年後、この里に住んでいた、故・ 小野武平 さんが周囲の土地を開墾していた頃、観音堂跡は、武平さんの屋敷の東側にあり、昭和初期までは現存していた。


これが、武平さんの屋敷跡。娘さんが東京の男性に嫁いだので現在は更地になっている。武平さんは、明治中期に亡くなったのであるが、武平さんの屋敷は、里人たちから、 “観音堂” と呼ばれていた。


東日本大震災の時、その津波は、この屋敷跡も襲った。上の写真は、唯一、残ったブロック塀。



武平さんの屋敷の庭には大きな池があったのだが、その池に関して、わたりの民話には、 「 昔、地中に埋もれた釣鐘を掘り起こして出来た池だということです 」 とある。ただし、続けて、 「 果たして釣鐘が出たかどうかはわかりません 」 ともある。


赤い矢印のところだけが窪んでいた。もしかしたら、ここに池があったのかもしれない。



大畑浜に再建されたという御堂を探そうとしたのだが、その必要は全くなかった。上の写真は、津波で全てがなくなった大畑浜。


平成 24 年 10 月 12 日 ( 金 ) 掲載


地図