伝承之蔵

鏡が池
亘理町/逢隈上郡/雁田

   昔、後三年の役のとき、 源義家 の家来である 鎌倉景政 は、十六歳の少年であったにもかかわらず、義家と共に 藤原清衡 を助けるため、 清原家衡清原武衡 の軍と勇敢に戦った。この戦いで、武衡の家来で、弓矢の達人と謳われた 鳥海弥三郎 の放った矢が、景政の右目に命中したのだが、景政は、その矢を抜こうともせず、すぐに、矢を射って弥三郎を殺した。その後、景政は、その矢を抜き、ある池に自分の顔を映して怪我の状態を確認した。そのため、いつしか、里人たちは、この池のことを、 “ 鏡が池 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 わたりの民話 』
現地で採集した情報


現地レポート

残念ながら、鏡が池は現存していない。昭和初期まではあったのだが、現在は田圃になっている。赤丸は、鏡が池の碑。



このあたりに鏡が池があった。因みに、この里は、七十年ほど前までは、 六角 という地名であった。上の写真の道路は、昔、 六角通り と呼ばれた主要な道路だったという。


これが、鏡が池の碑。



平成 24 年 11 月 16 日 ( 金 ) 掲載


地図